中国語においては、高い才能を持つ、多才な人のことを、「武芸十八般に精通する」と表現します。
古代中国には実際、18種の武器を使う武術があり、「武芸十八般」と呼ばれ、「十八般」「十八芸」「十八事」と略しています。この18種の武術は起源がかなり古く、戦国時代の武将である孫臏(ソン ピン)や呉起(ゴ キ)が伝承したものだと言われています。
元の雑劇作家である楊梓の雑劇「敬徳不伏老」では、唐の凌煙閣二十四功臣の一人、唐の建国将軍である尉遅敬徳(名は恭)の物語が語られ、彼は18種の武術を持っていると言われています。劇中で尉遅敬徳は、「私の十八般の武芸で、六十四回の交戦の勝利を収めました。私は神烏馬に乗り、戦場に乗り込み、唐代の建立には大きく貢献しました」と歌っています。
それでは、「武芸十八般」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。戦国時代から現代に至るまで、様々な伝えがあります。その中の一つは、槍、戟、棍、鉞(大斧)、叉、鎲、鈎、槊(長槍)、環、刀、剣、拐、斧、鞭、鐧(鞭のようなもので、4つの突起があり、刃がない)、錘、棒、杵という18種類の武器を指しています。
また、もう一つの伝えがあります。武器の他に、徒手格闘も含まれています。明代の朱国禎の『涌幢小品•兵器』には、次のものが記載されています。「武芸の十八種:一弓、二弩、三銃、四刃(刀)、五剣、六槍、七盾、八斧、九鉞、十戟、十一鞭、十二鐧、十三撾(または槁)、十四殳(竹や木で作られた武器)、十五叉、十六耙、十七綿縄套索、十八白打(徒手格闘)」。
明代の謝肇淛が編纂した『五雑俎』には、山西省の李通という武士が武術に長けていたという記述があります。首都で武術を教えている李通は、人々に試されているところ、「武芸十八般」のすべてに精通し、彼に匹敵する人が誰もいないことが知られるようになりました。明の正統己巳年(1449年)に、土木の変が発生した際に、英宗皇帝は、全国から勇士を募集したところ、李通が第一候補となりました。
(翻訳担当: 柳成蔭)
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