(metoro / PIXTA)
庶民の悩みを自分の悩みとすれば、庶民も君主の悩みを自分の悩みといたします.

仁愛の士は天下に敵無し(下)

(続き)

孟子: 陛下は今、仁愛の情を動物に施されましたが、庶民にしてみれば、自分たちには施してもらっていません。まるで、3千斤の物を持ち上げられる力を持つのに、1本の羽毛さえ持ち上げられない、ずば抜けた視力を持ち、獣のうぶ毛の先まで見えるのに、目の前に置かれている1束の薪が目に入らない、ようなものです。庶民には陛下の仁愛の情が感じられないのですから、陛下をケチだと言うのも当然です。陛下が道徳を用いて天下の統一を図らないのは、できないからではなく、やりたくないからです。

斉宣王: 「やりたくない」と「できない」はどう違うのでしょうか?

▶ 続きを読む
関連記事
 【大紀元日本5月4日】中国は古から、自国を「神州」「東土」と称してきた。中華民族の悠久なる5000年の文明歴史は、黄帝、尭、舜、禹、湯、文、武、周公の時代を経た後、孔孟の教えを崇敬し、「道」「佛」「
 【大紀元日本12月9日】下臣は君主の過失を正し諫めるのを己の任とし、主君は虚心にそれを受け入れて心から過ちを正す、これが正常な君臣の関係だ。后魏の大臣・古弼(こひつ)と太武帝が正にその一例だ。古弼は
 【大紀元日本6月4日】英明な主君には皆、かつて三つの畏れがあった。一つには、帝位にあって自らの過失を知らないこと。二つには、得意絶頂になって傲慢になること。三つには、金言を聞いて実行できないことであ
曹操は自分の子供への教育に対して、厳しい人でした。曹操が布告した「諸児令」には、「息子たちに対して、私はだれもが好きですが、大人になって才能がある人だけに重任を任せるのです」と書いてあります。曹操は自分の息子に贅沢をしないということを教えるため、彼自身が言葉で教えるだけでなく身をもって手本を示しました。日常生活の中で、自分の服装は継ぎあてがある場合が多く、夫人の卞(べん)氏は曹操が魏王になったにもかかわらず、相変わらず布の服装を着て、燈台の下で糸を防ぎ、布を織っていました。
五千年の歴史を有する中華文化は、先史文明から継承してきたことも含めて、物質と精神に対する理解が深く、科学的な知識にも富んでいます。