ルイ・ヴィトン:人の一生は旅である【歴史の瞬間】(前編)

1835年、フランスである日の朝、14歳の少年は父親と短い別れを交わし、新たな人生の旅に出ました。彼は鉄製の靴を履き、荷物を棒にくくりつけて肩に担ぎ、数枚のフランと、父親の工房で学んだ技術を心に刻み、東フランスの小さな村(Jura)を後にしました。心は真っ直ぐパリに向かっていました。

当時、巡礼者、商人、移動販売人など、様々な身分の人の徒歩での旅行者がいましたが、彼もその中の1人でした。途中、貴族が乗る馬車が横を通り過ぎます。馬車の跳ねた泥水が、避け切れない少年の反抗的な巻き上げ髪にかかります。その時の少年は、その後の人生の数奇な結び付きを知る由もありませんが、彼の人生は、貴族と品位に結びつくことになるのです。

彼の体は鉄のように頑丈で、両手は非常に器用です。彼の性格は彼の容貌と同じで、厳格、かつ勇猛果敢です。彼の名前はルイ・ヴィトン、皆さんがよく知るルイ・ヴィトンブランドの創設者です。

ルイの両親は農民で、製粉で生計を立てていました。小麦の収穫後には水車の力で木を切ります。少年ルイは学校に行かず、木材に対する知識と技術のすべてを、父親から教わりました。

父親はルイ少年にこう語ります。「木は生きている。ブナの木に話しかけた時に、『チュルチュル』と鳴くなら、それはただの扉として使う。恥ずかしがって返事をしないなら、丸太は注意して切るんだ。きれいな山の模様が見えたなら、それは聖職者や町の貴族が好む材料だよ。家具にはオークを使う。でも、北部の人には使うけど、カンヌから来た客には使わないで。そこは日差しが強すぎて、2年も経たないうちに割れてしまうから。でも、ワイン樽にはそのまま使っていいよ。オークは生まれながらにしてブドウの良き相手で、一生共にできるから」
 

パリでの人生の旅路

ルイ・ヴィトンが父親から学んだ木工の技術と知識は、マレシャル氏が経営するパリの木箱店で役立ちました。マレシャル氏はパリで非常に有名な木箱店を経営しており、ルイの木に対する能力は彼の注意を引きました。マレシャル氏はルイに言います。

「君に『荷物包装工』として見習いの仕事を与えよう。ここに、寝台として使える作業台と、木くずを詰めて枕として使える布袋がある。食事は1日に2食用意する」ルイはこの仕事をすぐに受け入れました。

19世紀の交通手段の発達により、馬車、船舶、列車など、人々の長距離旅行がますます頻繁になりました。「旅行」はフランス語の新語となりました。フランスの王室や貴族が遠出する際には、特製の旅行用品や荷造りのサービスが必要で、マレシャルの木箱店はこの時代の恩恵を受け、非常に繁盛しました。

ルイ・ヴィトンはマレシャルの木箱店で2年間働いた後、主任技師になりました。店の作業台を寝床として使わなくてもよくなり、彼は自分自身の部屋を持つようになりました。

1848年の春の夕暮れ、ルイ・ヴィトンはロシア大使夫人の荷物を運ぶため、ワンドーム広場にあるロシア大使館から出てきました。突然の銃声を耳にしたルイはすぐにポーチの下に隠れました。彼は偶然2月革命に出くわしたのです。翌朝、ルイ・フィリップフランス王1世は退位し、フランス第二共和国を宣言しました。

2月革命の直前、カール・マルクスの「共産党宣言」が発表され、国家機構の破壊と打砕きの主張がヨーロッパ全体に広まり始めました。フランス政府はこの危険な、憎悪に満ちた思想に気づき、マルクスを国外に追放しました。ルイ・ヴィトンもマルクスの無産階級の団結と剥奪階級の打倒を唱える主張を好みませんでした。

彼が知っている剥奪階級の人間はマレシャル氏でした。マレシャル氏はルイにとても親切で、給料も技術者として妥当な額を出してくれました。なにより彼は自分の好きな木工をしながら、ビジネスのスキルも学ぶ事ができたのです。
 

父親の事業を受け継ぐルイ・ヴィトン 
花模様のデザインと調和

ジョージ・ワイデン ジョージ・ヴィトンは、父親の名前のイニシャルであるLとVを花模様に使い、世界的に有名な絡み合った文字を生み出しました(パブリックドメイン)

 

 1852年、ルイ・ナポレオン・ボナパルトが即位し、ルイ・ヴィトンは王妃の公式包装工に選ばれ、それ以降、上流社会に足を踏み入れました。美しい王妃オジェニー・ド・モンティホは服飾に非常に注意を払っており、王妃のすべての旅行には十数個の箱が必要でした。

ルイ・ヴィトンは気づきました。これらの箱はすべてアーチ型で、家の中では見栄えが良いのですが、旅行には不便です。なぜなら、重ねて積むことができず、地面に一列に並べるしかないからです。そこで、ルイ・ヴィトンはパリで最初の店舗を開き、天井が平らな箱を専門に製造しました。

ルイ・ヴィトンが製作した革箱の技術は優れており、当時のパリで非常に有名でした。これにより、ルイ・ヴィトンは皮製の旅行用品の最も精巧な象徴となりました。王侯貴族は特に好んでルイ・ヴィトンの革箱を注文しました。

(つづく)

江峰