孫思邈 「修煉の道 道徳を以て本と為す(その五)」

運勢には困窮と順調という変化がありますが、苦境に陥っていても道徳と信念を貫くことが出来れば、初めて万事順調の境地にたどり着くことが出来ます。行動に善悪の区別がありますが、善を堅持することが出来れば、必ず良い結果につながります。唐の名士の宋之問(初唐の詩人)、孟詵(唐の医学者)、盧照隣(唐初期の詩人)等はみな、孫思邈(そんしぼう)のことを礼儀を尽くして尊敬していました。孫思邈が後世に残したものとは何でしょうか?
2024/07/17 明慧ネット

孫思邈 「修煉の道 道徳を以て本と為す(その四)」

孫思邈は中国医学の先駆者として、まばゆくばかりの輝く星のような存在でした。彼が中国の医学史に残した不滅の功績は千余年来、人々に高く評価されて崇拝されてきました。唐太宗・李世民は孫思邈のことを称賛し、「道を切り開いた名医として、三聖に補助し、四季に合わせて心身を調和させ、悪竜猛虎を屈服させ、危険から人々を救った。彼は巍々堂々たる百世の師と為るべし」と言いました。
2024/07/16 明慧ネット

孫思邈 「修煉の道 道徳を以て本と為す(その三)」

孫思邈は数え切れないほどの患者の病気を治癒させただけでなく、しっかりと修煉をして医者としての道徳水準も高かったため、竜を治療し、虎を救い、人間だけではなく異なる種類の動物までも助け、その影響力を広く及ぼしたという、神話伝説も数多く残っています。それでは、その一部をご紹介しましょう。
2024/07/15 明慧ネット

孫思邈 「修煉の道 道徳を以て本と為す(その二)」

唐の貞観年間(627年~649年)、太宗李世民の長孫皇后(ちょうそんこうごう)は、妊娠してすでに10カ月以上になりましたが生まれる兆候がなく、かえって重病を患い、伏して起きられなくなりました。多くの侍医に治療してもらいましたが、病状が一向に好転せず、太宗はこの事で毎日憂うつな顔をして、居ても立っても居られませんでした。大臣の徐茂功の推薦により、民間の医者である孫思邈が皇宮に召されたのです。彼はどうしたのでしょうか?
2024/07/14 明慧ネット

業力と疫病(2)

明慧ネット上に掲載した「再び疫病神が見えた」の文章の中に、「初めて疫病神を見たのは、2020年2月下旬のある晩、疫病神が疫病を撒き散らし、そして帰る時、私はまた来ると言った」と書かれています。
2024/07/12 周清瀾

歴史書の中の疫病神に関する伝説

中国の伝統文化の中に、河神、山神、雷神、土地神などの様々な神に対する信仰がありました。神々が世の中の万事万物を管理していると思われ、神々に関する物語も民間で代々伝わってきました。それだけではなく、多くの縁のある人は夢の中、あるいは特定な状況の中で、神々の存在を身を持って体験をしました。
2024/07/10 肖輝

東西の人物像の比較――劉基とノストラダムス

この2人の予言者は、ここで取り上げられること以外はすべて予言していたようだ。
2024/06/28

東西の人物像の比較――チンギス・ハーンとアレクサンドロス大王

歴史の激流の中で、チンギス・ハーンとアレクサンドロス大王のように際立った英雄は、洋の東西を問わずほとんどいない。
2024/06/28

東西の人物像の比較 ――班昭とアンナ・コムネナ

班昭(はんしょう)とアンナ・コムネナは、あまり知られていない人物だろう。二人の女性の生涯は、歴史的にも千年以上の隔たりがあり、生息した土地も6500キロ離れてはいるが、多くの共通点がある。
2024/06/28

羅針盤を超えて:古代中国の発明の数々

かつて「中国製造」の意味は現在のものとは全く違っていた。真に畏怖の念を抱かせる最新技術を駆使したものを意味していたのだ。古代中国の発明は、よく知られているものと知られていないものがあり、欠かせないもの、役に立つものから単に面白いものまで実に様々だ。
2024/06/27

中国史上最も嫌われた秦檜夫妻の後始末

秦檜(しんかい)と妻の王氏は、宋の時代の最も憎まれた夫婦といえる。中国史でも最高とされる勇猛な将軍・岳飛を、外敵の金(きん)と組んで陥れたことで悪名高い。
2024/06/27

国を救った西施

敵が攻め入る音が宮殿に響き渡ります。家臣たちは逃げ惑い、負傷した者よりも激しく号泣しています。国王の耳に入るのは、領土が次々と敵の手に墜ちたという報告だけ...。
2024/06/26

単騎の趙雲

時は3世紀、中国の強大な漢王朝は崩壊しました。この混乱期には、英雄や勇敢な人物が現れました。劉備の右腕として知られる趙雲もその一人です。
2024/06/26

迫られて梁山へ ー 林冲の物語『水滸伝』

『水滸伝』には、善良で深く傷を負った心を持つ好漢や、欲望が命取りになった特権階級の若い男性、息子を守るために正義を欺く汚職で腐敗した高官の話などとと もに、尊ばれていた紳士が好漢としての運命をたどる林冲(りんちゅう)の物語があります。豹のような顔から、豹子頭(ひょうしとう)というあだ名がついて います。
2024/05/15

水滸伝の英雄――魯智深と楊志

中国の古典小説『水滸伝』に登場する百八名の好漢の一人で13番目にあたります。酒好きの長身でした。
2024/05/14

楊家の将軍

千年以上前の北宗は、脆弱で腐敗した宮廷のもとで、常に侵略に遭い、壊滅寸前の状態にありました。しかし、武勇に恵まれた皇室の一人が、戦を率い、朝廷を存続させました。
2024/05/14

中国四大古典――『水滸伝』

中国四大奇書の一つ『水滸伝』は、 14世紀に施耐庵が著したものです。冒険、疫病、英雄伝、ならず者の世界などの民話の集大成で、宗代に実在した盗賊の一味から題材を得ています。
2024/05/14

三顧の礼【ことわざ】

ある人が劉備に諸葛亮を推薦しました。彼が稀代の天才だというのです。そこで劉備は、関羽と張飛を連れて隆中の諸葛亮に会いに行きました。ところが、諸葛亮はあいにく不在で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、わかりませんでした。劉備は非常に残念でしたが、しかたなく引き返すことにしました。

史上初めて中国全土を統一――秦

中国の王朝の歴史を覚えるのは難しいという人は、まず秦(紀元前221-紀元前206年)から入ることをお勧めします。秦は、最も短命の王朝でしたが、史上初めて中国全土を統一し、郡県制を整え、使用する字体を篆書(小篆)に統一し、万里の長城や兵馬俑を残しました。
2024/05/08

中国の最初の黄金時代――漢

漢王朝(紀元前206年–紀元220年)は、しばしば中国の最初の黄金時代として知られます。漢の歴代皇帝は、黄帝や老子といった先賢の精神に則り、平和と繁栄を維持しました。
2024/05/08

戦乱に満ちた時代――南北朝

南北朝時代(紀元420-589年)は、戦乱に満ちた時代でした。中国は分裂し、様々な将軍がそれぞれの国を数十年ほど支配しましたが、後継者に権力を譲ることができず、長期にわたる王朝を確立して、中国を統一することができませんでした。同時に、仏教や仏教芸術が中国に活発に広がった時代でもあります。
2024/05/08

中華文明の黄金時代――唐

唐(618-907年)は、中華文明の黄金時代と見なされています。平和で安定しており、富が栄え、特定の時期には国際的な影響力もあり、後にも先にも唐に匹敵する時代はありません。
2024/05/07

中国文明が大きく発展した時代――宋

300年続いた宋(960-1279年)は、前半の北宋(960-1127年)と後半の南宋(1127-1279年)に分かれます。唐の時代同様、宋の時代も中国文明の黄金時代とされ、文学、哲学、科学の面で重要な発展がありました。
2024/05/07

正しいお茶の飲み方、3つの秘訣で健康に!

お茶は長い歴史を持ち、今では非常に一般的な飲み物となっています。中には毎日大きなカップで一杯飲む人もいます。しかし、健康効果を得るためには、多くの人が間違った方法で飲んでいるかもしれません。
2024/04/10 苏冠米

ルイ・ヴィトン:人の一生は旅である【歴史の瞬間】(後編)

ジョルジュは父親の期待に応えました。1888年、ジョルジュ・ヴィトンは新しいデザインのヴィトンの皮箱を発表しました。彼は箱の表面を西洋のチェッカーボード風にデザインし、色は茶色と栗色が交互になっています。
2024/04/05 江峰

ルイ・ヴィトン:人の一生は旅である【歴史の瞬間】(前編)

1835年、フランスのある朝、14歳の少年は父親と短い別れを交わし、新たな人生の旅に出ました。彼は鉄製の靴をはき、荷物を棒にくくりつけ、肩に担いで、数枚のフランと、父親の工房で学んだ技術を持ち、故郷を後にして、東フランスの小さな村ラ(Jura)からパリへ向かいました。
2024/04/05 江峰

長野県上水内郡飯綱町で「いいづな歴史講座」開催

江戸時代、飯綱町には子供たちの学びの場「寺子屋」がいくつもありました。講座では実際に当時使われたローカル色豊かな「お手本」を解読しながら、町の教育、文化の原点について話題にします。ぜひご来場ください。
2024/02/19

寿司の歴史を探る なぜ、寿司には基本的に魚介類しか使わないのか?

日本食といえば、寿司を思い浮かべる人が多いでしょう。 しかし、寿司は日本が発祥の地ではありません。魚介類と一緒に食べることが多いのですが、それはなぜでしょうか? 日本の寿司の起源を探ってみましょう!
2024/01/30 新庄綾子

秦の始皇帝――中国最初の「皇帝」【千古英雄伝】

秦の始皇帝は、中国の歴史の中で非常に物議を醸す人物です。秦の始皇帝の功績評価の中で、積極的な評価には、中国の統一、政治制度の創設、中国領土の確立に重要な役割を果したことです。
2024/01/16 淑萍

中共執政者、夕食会で「パールハーバー」…歴史を歪曲 米財界「プロパガンダの極み」

夕食会では、習近平が第二次世界大戦期の「抗日戦争」を取り上げ、歴史戦で米国側の融和姿勢を誘ったが、歪曲した内容に財界トップらは「プロパガンダの極み」として冷ややかな態度を取った。
2023/11/20 佐渡道世