糸を引いて脈を取る
唐の貞観年間(627年~649年)、太宗李世民の長孫皇后(ちょうそんこうごう)は、妊娠してすでに10カ月以上になりましたが生まれる兆候がなく、かえって重病を患い、伏して起きられなくなりました。多くの侍医に治療してもらいましたが、病状が一向に好転せず、太宗はこの事で毎日憂うつな顔をして、居ても立っても居られませんでした。大臣の徐茂功の推薦により、民間の医者である孫思邈が皇宮に召されました。
中国の古代では、人々は比較的に高い道徳理念を遵守していました。例えば、男女は直接接触してはならないという礼儀があり、医者も例外ではなく、侍医が宮内の女性を診察する際には、その体に直接触れることが許されませんでした。孫思邈は皇后の身の回りの女官に病状を細かく聞き、侍医が書いた診療記録や処方箋を真剣に読みました。彼は1本の赤い糸を取り出し、女官にその糸を皇后の右腕に巻かせ、もう一端を竹のカーテンから引っ張り出させ、自分がその糸を持って、糸を伝わって来るわずかな脈を取りました。
古代の名医は実は皆修行の人で、常人が持っていない不思議な力を持っていました。しかし、彼らは秘密を厳守し、決して人に言いふらすことはせず、ただ善意を持って病気治療をして人々を助けました。孫思邈もそのような名医でした。彼らはただ1本の細い糸を伝わって来る脈を感じ取れるのです。孫思邈は皇后の脈を診察して病因を掴み、そして、皇后の左手の中指に針を刺しました。その後、皇后は順調に男児を出産し、皇子が誕生しました。
太宗の疑惑を払拭する
貞観の初年、外寇の侵入を防ぐ戦いの中で、唐太宗は敵軍にある山ので頂上で包囲されました。太宗は山の上の水たまりの水を飲んだ際に、体が疲れてめまいを起こし、帽子の竜の紋様の飾りが水に映った倒影が、小さな蛇に見えてしまいました。太宗は凱旋した後でもその不安を払拭できず、思えば思うほど気持ち悪くなり、嘔吐をし、最後に病気になってしまいました。
宮中の侍医が処方しても効果がないため、魏征(ぎ ちょう・高祖、太宗の2代に仕えた唐の政治家)は、また、孫思邈に来てもらいました。孫思邈は唐太宗の顔色が悪くなければ、お腹に異物もない様子を見て、病因を尋ねました。そして、彼はまず太宗に精神安定剤を処方し、太宗が出征した時につけた帽子を持ってきてもらい、さらに、たらいいっぱいの水を持って来てもらい、太宗にその水を見させました。たらいの中に投影した竜の紋様の飾りを見た太宗ははっと悟り、たちまち心中の疑惑が払拭されました。それで当然、病気も全快となりました。
(続く)
――「明慧ネット」より転載
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