アダム・スミス「国富論」イメージ画像(Kjell Leknes/Shutterstock)

経済学の父アダム・スミスが忘れていた「防衛」という視点

アダム・スミスの「国富論」は今年で出版250周年を迎えるが、今なお社会経済的な議論において重要な位置を占めている。スミスは自由貿易の利点を信奉し、重商主義を批判した。重商主義とは、当時流行していた、輸出を促進し、輸入を抑制し、その輸出余剰から得られる貴金属を蓄蔵するという考え方である。スミスの見解では、重商主義は決して普遍的な繁栄への道ではなかった。

後年のノーベル経済学賞受賞者、ミルトン・フリードマンも同じ考えを痛烈に表現している。1978年の大学での講演を引用すればこうだ。「対外貿易による利益とは、我々が輸入するものである。輸出とは、それらの輸入品を手に入れるためのコストである。アダム・スミスが述べたように、国家にとっての適切な目標は、できるだけ少ない輸出で、できるだけ多くの輸入を確保できるように物事を整えることである」

このフリードマンの論理構成は、極めて合理的だ。貿易とは定義上、交換の場であり、その目的は欲しい輸入品をできるだけ少ない輸出で手に入れることにあるはずだ。その意味で、輸入よりも多くの輸出を求めることは直感に反するように思える。

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