経済学の父アダム・スミスが忘れていた「防衛」という視点

2026/04/20 更新: 2026/04/20

解説

アダム・スミスの「国富論」は今年で出版250周年を迎えるが、今なお社会経済的な議論において重要な位置を占めている。スミスは自由貿易の利点を信奉し、重商主義を批判した。重商主義とは、当時流行していた、輸出を促進し、輸入を抑制し、その輸出余剰から得られる貴金属を蓄蔵するという考え方である。スミスの見解では、重商主義は決して普遍的な繁栄への道ではなかった。

後年のノーベル経済学賞受賞者、ミルトン・フリードマンも同じ考えを痛烈に表現している。1978年の大学での講演を引用すればこうだ。「対外貿易による利益とは、我々が輸入するものである。輸出とは、それらの輸入品を手に入れるためのコストである。アダム・スミスが述べたように、国家にとっての適切な目標は、できるだけ少ない輸出で、できるだけ多くの輸入を確保できるように物事を整えることである」

このフリードマンの論理構成は、極めて合理的だ。貿易とは定義上、交換の場であり、その目的は欲しい輸入品をできるだけ少ない輸出で手に入れることにあるはずだ。その意味で、輸入よりも多くの輸出を求めることは直感に反するように思える。

では、「国富論」の出版から250年が経過した今、アダム・スミスは依然として重要な存在なのだろうか。

「経済学の父」としばしば称されるスミスは、分業、自由貿易、自発的交換、競争、そして「利己心の調和」(法を遵守しながら多くの人々が自らの利益を追求すれば、広範で有益な社会的結果がもたらされるという考え)、市場原理への依存、そして経済の微細な管理に対する嫌悪を含む、政府の限定的な役割といった概念を信じていた。

スミスの現代における重要性についての問いに対し、私は「イエス」と答える。ただし、そこには「ただし書き」、あるいは私の好きな言葉を使えば「トレードオフ(相殺関係)」が存在する。

スミスが描いた自由貿易のビジョンは、発展途上国と先進国の双方に多大な利益をもたらした。前者では貧困が大幅に削減され、後者の消費者はより幅広い商品、それもしばしば比較的安価な商品を利用できるようになった。

しかし、潜在的なリスクも存在する。その一つが安全保障である。

第二次世界大戦において、米国がフランクリン・D・ルーズベルトの言うところの「民主主義の兵器庫」になれたのは、まさに強大な製造能力を有していたからである。もしその能力が外国との競争によって空洞化していたら、状況は全く異なっていただろう。そして、その結果は非常に不快なものになっていた可能性がある。

要するに、一国の貿易体制が安全保障に及ぼす影響を、厳格に見極める必要があるということだ。どこまでを自国で担い、どこからを他国に頼るかという「境界線」は、その国が国際社会でどのような役割を果たそうとしているかによって変わってくる。

もちろん、あらゆる業界団体が「我が社の事業こそが安全保障に不可欠だ」と主張し、政府の保護や補助金を引き出そうと画策するだろう。しかし、その線引きが極めて困難だからといって、評価の手を緩めていい理由にはならない。「安ければそれが最善だ」と言い切れない局面は、現実の世界に確実に存在するのだ。

スミスもフリードマンも、輸出そのものに反対していたわけではない。むしろその逆だ。二人とも、輸入品を獲得するためには輸出しなければならないということを前提としていた。彼らが反対したのは、輸入よりも輸出を多くすること自体を神聖視(フェティシズム)することであった。

もちろん、輸出産業に従事する人々にとって、輸出はそれ自体が目的となる。しかし、より広い社会的な視点から見れば、事態はより複雑だ。得ているもの(輸入)よりも多くを与えている(輸出)状態は、必ずしも大きな意味を成さない。

もちろん例外はある。

第二次世界大戦後の欧州復興を促進した米国の役割は、輸入を上回る輸出が有益な政治的目的を果たし得ることを示す完璧な例である。

また、国内雇用を確保するために輸出を最大化し、同時に輸出余剰による収益を外国資産への投資に充てるという主張も成り立つ。ただし、こうした海外投資にはリスクがつきまとう。投資先の国によって工場などの資産を没収(国有化)されたり、貸したお金が返ってこなくなったり(債務不履行)する恐れがあるからだ。また、こうした輸出偏重のモデルが、国民全体の幸福をどれほど高めるのかについては、いまだ確かな答えが出ていない。

とうの昔に亡くなったあらゆる思想家と同様に、アダム・スミスの見解も、彼が生きた時代の環境に影響を受けていた。しかし、1776年当時よりも世界が格段に複雑になったからといって、彼の根本的な洞察が無効になるわけではない。

その複雑さの一端を知るには、私の2025年5月26日のコラム「なぜ世界はいまだに『キング・ダラー(ドルの王)』にひれ伏すのか」を参照されたい。© Troy Media

トロイ・メディアのコラムニスト、パット・マーフィーは、歴史好きの視点で世界の出来事を考察する。決して皮肉屋ではない――まあ、少しはそうかもしれないが。
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