中国東莞の収容所で数千人死亡・失踪か 再調査求める投稿が削除

広東省東莞市は、1990年代に中共が進めた、「改革開放」の象徴的な都市の一つだった。最近、中国本土のブロガーが、1992年から2003年にかけて、同市の収容施設で数千人が死亡、または行方不明になったと主張し、樟木頭収容所で起きたとされる深刻な人権侵害について再調査を求めた。関連ワードは一時、ネット上で検索ランキングに上がったが、その後、閲覧できなくなった。

20年以上前、中国の労働コストの低さを背景に、多くの外資系企業が東莞に進出した。それに伴い、全国各地から多くの出稼ぎ労働者が集まったが、広東省の治安当局は、暫住証を持たない出稼ぎ労働者を拘束するようになった。

公開資料によると、樟木頭収容所の正式名称は「東莞樟木頭宝山収容送還所」で、広東省東莞市樟木頭鎮に置かれている。かつて珠江デルタ地域で最大規模の収容施設の一つとされ、身分証や暫住証を持たず、定職もない、いわゆる「三無人員」を収容していた。

江西省出身の男性、楊波さん(仮名)は、新唐人テレビの取材に対し、東莞で拘束された当時の経験を語った。2002年、当時17、18歳だった楊さんは、東莞市長安鎮の工場で働いていた。ある日、早番を終えて工場の門を出たところ、治安隊に拘束された。収容所に送られる直前に金を払ったため、解放されたという。

楊さんは、当時の状況について次のように語った。

「当時はお金がほとんどなかった。親が少しだけ生活費や交通費を渡してくれて、その後は自分で何とかするしかなかった。できるだけ工場の中にいて、外に出ないほうがよかったのだ。遊びに出ると捕まることがあった。捕まった後、お金があるか、親戚が来てお金を払ってくれれば解放されたが、誰も来なければ樟木頭に送られた」。

楊さんによると、「暫住証」を取得するには200人民元が必要で、当時の半月分の給料に相当した。そのため、多くの人は支払うことができず、街を歩いているだけで拘束された。

楊さんはさらに、「夜中まで拘束され、お金があれば釈放された。お金がなければ樟木頭に送られ、強制労働を強いられた。ネットで調べると、80万人以上という数字も出ている。私が聞いた話では、殺されて埋められた人もいたそうだ。多くの人が見つからず、理由も分からないまま姿を消した」と説明した。

中国本土の許さん(仮名)は、こうしたことは十分あり得ると話した。地方当局にとって、罰金は財政収入を増やす最も手っ取り早い手段だったためだという。

許さんは、「今でも交通警察は、電動バイクに乗る人を毎日のように取り締まっている。特に違反しているようには見えない時もあるが、呼び止められると10元、20元と罰金を取られる。私たちはこれを『罰金経済』と呼んでいる。一部の地方財政は、すでにこうした罰金収入に頼っているのだ」と語った。

中国本土の范さん(仮名)は、当時は暫住証がなければ、すぐに連行されたと話した。

范さんは、「連れて行かれた人は、言うことを聞かなければ殴られた。殴り殺された人もいたし、売られた人もいたと聞いていう。女性は酒楼などに売られ、無理やり働かされたこともあった。北朝鮮と同じように、人を最底辺に押し込め、支配するようなものだった」と振り返った。

関連記事
片山さつき財務相は9月8日の閣議後記者会見で、2027年度から2年間、飲食料品の消費税率を1%引き下げる方針を巡り、赤字国債に頼らず財源を確保する考えを示した。税収動向を精査するほか、租税特別措置や補助金の見直し、税外収入の確保などを進める。
小泉進次郎防衛相は、退職自衛官と家族を支援する新組織の創設に意欲を示した。隊員数が22万人を下回るなか、再就職や給付、医療・家族支援を一元化し、人材確保と離職抑制を図る
航空自衛隊は9月9日から、F-2A戦闘機3機を初めてインドへ派遣し、印空軍との共同訓練「ヴィーア・ガーディアン26」を実施する。日印戦闘機の相互訪問が実現し、防衛協力は陸海空で深化する
小泉防衛相は自衛隊の戦傷医療能力を高めるため、厚労省との協力体制構築を要請した。有事の救命、PTSD対策、リハビリ、民間医療との連携を含め、年内改定予定の安保3文書への反映を目指す
中国商務省は9月7日、反ダンピング調査を巡り、日本産のジクロロシランを輸入する企業に最大99.2%の保証金納付を義務付けると発表した。一方、赤沢経産相は中国による対日輸出規制について「国際的な慣行に反する」と非難した