【中華の改新】「チャイナ・イメージ」博物誌 方円の盤上遊戯『囲碁』②
【大紀元日本3月17日】チャイナ・イメージ・博物誌は、「チャイナ」イメージ博物誌や、チャイナ「イメージ博物誌」、あるいはチャイナイメージ「博物誌」を含んでいます。人類のスピリッツの営みからイメージの種子となる原型が生成され、目覚めた意識が届かない識域を瞬速に超えて、心の活動の現場に現れてきます。イメージがジャンプしてまさに躍り出てくる刹那を、誰も知覚することはできません。しかし、それ故にイメージの広々とした働きは、人々の暮らしの考えにさりげなく浸透して、何気ない振る舞いに作用を及ぼしうる力を有しているのです。
囲碁の意味世界
囲碁の別称に「爛柯」があります。囲碁のコスモロジーを読み解く欄柯伝説を見る前に、「囲・碁」という言葉の成り立ちをみておくことにしましょう。
「囲」の文字の□は、碁盤の形状が四角いことを、□いの中にある井の字形は、格子状の路(みち)が井下駄のように盤上に縦横に引かれている姿を表わしています。「碁」の文字の下方に書かれた石の字によって、丸い天をシンボライズした碁石が意味されています。すなわち囲=方(地)、碁=円(天)を表わしています。囲碁は姿を変えた「方円」の、今に流通する呼び名なのです。
囲碁は手談であるとも言われます。手を使って交わす、無言の高尚なおしゃべりという意味を負っています。手談を交わし合うのは、いったい誰なのでしょうか?坐隠という言い方に、解答の一つがあります。人跡未踏の迷い道の果てとおぼしい、とある仙山の洞窟にしつらえられた石室の一隅で、悠々と時を過ごす隠者二人が碁盤を前に天界遊戯を楽しんでいます。沈黙は金なりに値する二人の手談の妙味によって、以心伝心のように天上の愉快が交歓されて終局を迎えます。
しかしながら碁に遊ぶ至福の一局は、時間が経過したとも、しなかったとも言い得るものです。限りなく永遠に近い別世界の時間が、隠者の住まう仙界を満たしているからです。
爛柯(らんか)伝説のチャイナ・イメージ
私たちは眠り、そして目覚めます。眠りと目覚めの間に経過した時間は、その中を過ごしている時には分かりません。熟睡の眠りの中で、私たちは参照する腕時計を持っていないからです。目覚めてから眠りの外に出て、日常生活の時間を測る時計を見ることによって、初めて何時間眠っていたのかを確認できます。目覚めた状態の中にもし眠りの時間が侵入して継続するならば、永遠の中にいるような錯覚に襲われるはずです。
ダリが描いた絵のように、時計や空間が溶解した世界に接触することになるでしょう。日常生活の中でも「夢中のひと時」が一瞬であると実感されるように、目覚めた意識に夢よりも深い「熟睡=仙界のひと時」が侵入すると、そこに永遠に似た体験が生まれます。この無意識の熟睡のひと時に、山に入った木こりが遭遇します。「爛柯」伝説は次のような物語です。
《時は晉の時代、信安郡というところに石室山があった。主人公は王質という木こり。王質は石室山へ木を切りに出かけた。すると歌いながら碁を打っている、数人の童子に出遭った。木を切る斧の柯(え)を傍らに置いて碁を打つのを見ていたら、一人の童子が気づいて近づいて来た。棗(なつめ)の種のようなものを王質に与えた。これを食すると飢えが消えて、お腹が空くことはなく満ち足りた。碁が終わったので帰るように、童子が王質を促した。そして指差して『お前の斧の柯(え)はすでに爛(くさ)っている』と言った。王質は下山して郷里に帰った。しかしもはや郷里には知る人はなく、数百年の時を経てすっかり生家も町も人々も変貌しているのを発見した》
王質が見聞した童子の碁の一局が演じられた時間は、一時間の芝居の中で人生の一幕芝居を演じ終わらせることが可能であるように、日常的な時間を圧縮した「仙界=無意識の熟睡のひと時」が、石室と呼ばれる場所を占有して演じられていたに違いありません。老隠者や童子が創造した石室というチャイナ・イメージは、いったいどこからやってきたのでしょうか?