現代「忘年会」考

【大紀元日本12月7日】

銀杏並木の「忘年会

今年は紅葉狩りの見頃が師走に溶け込んで、秋の盛りと冬将軍の足音がリズミカルに銀杏並木を元気に駆け巡っています。銀杏の落ち葉は金色にまばゆく並木道を敷き詰め、左右の繁みの掌を天空に広げて枯れゆく刹那の美しさで、冬の到来を告げてくれています。銀杏並木道にすっぽり包まれると、黄金のシャワーを浴びた心地がしませんか? 金色に輝くのが生命の最期の本当の印であることを、枯葉がそっと暗示してくれている気配があるからこそ、冬の景色の静寂に心打たれるのかもしれません。

古くは事始めといって12月13日に神棚や仏壇の煤払いを行って、新年を迎える準備に取り掛かりました。お迎えするのは、歳神(としがみ)の御魂です。事始めの神事はまず大掃除から始まります。この時期になると歳神は、今年1年の万物の命の記録を潔斎=決済するために「いのちの書」をひも解きます。この「いのちの書」は黄金の文字で書かれています。何故でしょうか? 人々がなした行いは、黄金の秤に掛けて記録されるからです。

1年の記憶を想起し、黄金の言葉に変わった自分の行いを清算するために「忘年会」が誕生したのです。忘れてしまった年=歳神に再び会う日はいつのことでしょうか? 銀杏並木に広げられた金色の掌は、「忘年会」の本来への回帰を促しているかのように燦然と輝いています。

「年忘れ」から忘年会へ

忘年会の起源を訪ねると、鎌倉時代の武家社会に行き着くというのが定説です。宮仕えの鬱憤を晴らす宴会かと思いきや、詩歌などを詠んで風流三昧を愛でる厳かな宴であったようです。年末になると1年の埃を払う大掃除が行われます。奈良の大仏さんの煤(すす)払いの光景をご覧になった方も多いでしょう。1年の穢れを祓って綺麗さっぱり洗い流し、新年の晴れの日を迎えるという儀礼の反映が、年忘れの祝宴の中に込められているのです。気(け)枯れを晴らして共同体の新生を図ることが、宴会の大切な社会的役割でした。今年1年の記憶を清算して、全く新しい生活を一からやり直す機会を獲得するのです。忘却によって獲得されるものが大切だったのでしょう。それが「?」であるかを、いざ鎌倉! の武士達は知っていました。年を忘れるとは、何のことだったのか? この「年」の神をこそ思い起こしてみましょう。

我輩は「忘年会」である

家庭や商店や会社では、大掃除が年末の風物詩です。煤払いという宗教的奥床しさが取り払われてしまいました。灯油の値段が高騰している時節柄、暖房費の節約と自衛のために火鉢の復活に期待が集まるかもしれません。そんなニュースが流れていました。火鉢で火を起こすと、煤が部屋に立ち込めます。火鉢の底に灰が残り、灰が黒い炭の思い出の印である事がわかります。大掃除=煤払いの日常生活の実感が、随分と長らくあったのです。

江戸時代には煤払いが終わると胴上げなどがなされ、羽目をはずして年忘れに打ち興じた姿が伝えられています。明治期に入って文明開化の槌音とともに年忘れの本義はお蔵に仕舞い込まれます。夏目漱石の明治後期の作品『我輩は猫である』に、「忘年会」という言葉が文献上初めて登場するようになりました。これ以降「我輩は忘年会である」道を堂々と闊歩し始めたのです。そこから現代の忘年会まであまり隔たりはありません。忘年会は極めて個人的な物語りの忘却へと足を速めたのです。

(岳)