【大紀元日本5月13日】太宗・李世民は中国の歴史上でも最も知られた皇帝の一人である。彼の在位中は、朝廷の政治は公平であり、よく人の品行と才能を見抜いて抜擢した。このため、国力は盛んになり、民生は裕福になった。唐の太宗は、一人の傑出した政治家であり、軍略家であり、また賢明な君主として名を残している。また人によく知られていないが、彼は芸術をも深く愛し、芸術に精通しており、相当に造詣のある書道家である。

唐の太宗は虞世南に師事して書道を学び、その在位期間中に書家名人の作品を広く収集し、真品300件余りを150巻に装丁し、政務を掌る合間をぬってそれらを取り出しては鑑賞していた。後世に伝わった著名な書法の作品には、「晋祠銘」と「温泉銘」がある。前者の筆力は雄々しく広々として、後者は力強く流麗である。それは字の行間からも優秀な帝王のもつ気品が発散し、それは書家の大家の中にあってもまったく遜色がない。

唐の太宗が中国書道史に与えた影響は、それは彼が傑出した書道作品を創作しただけでなく、帝王の身分で書道を広め、奨励したことだ。これにより、中国の歴史上で唐朝時代は書道が最も栄えた時期となった。「太宗は初めて皇位を継承するや、即ち正殿の左に弘文館を設けた」、「文武官の五等以上は、書を学び、書を愛する者なり、館内で聴き書を学ぶ」、書道の名家である歐陽詢と虞世南が学士のために書法芸術を伝授した。

貞観二年に制定された「書学」は、書道のための専門機構であり、国子監(※中国封建時代の最高教育学府)に属した。書道の教育機関を設置した以外、唐の太宗は書道を科挙で人材を選抜する重要な一科目とし、「楷法遒美」を定めて科挙選抜の基準の一つとした。書法芸術を官吏選抜の要求として制度化したため、これが芸術の繁栄をもたらす最強の推進力となった。

唐太宗の提唱により、書を習うことは一種の流行のようになり、多くの文人が書道芸術の研究に没頭した結果、このときに名人が輩出され、唐代は書道芸術のクライマックスを迎えた。もし唐の太宗による提唱や普及がなかったら、歐陽詢、虞世南、褚遂良、顏真卿、柳公權、懷素、張旭、孫過庭、李北海などの名人は輩出されず、その名を歴史に留めて異彩を放つこともなかっただろう。こうして唐代は、中国書道史で最も光り輝く一ページとなった。唐の太宗・李世民は、歴史に名を留める「賢明な君子」であるばかりか、同時に書道史上における大功臣であるともいえよう。

(翻訳=太源)