中華文明の黄金時代――唐

唐(618-907年)は、中華文明の黄金時代と見なされています。平和で安定しており、富が栄え、特定の時期には国際的な影響力もあり、後にも先にも唐に匹敵する時代はありません。
2024/05/07

【三蔵法師の巡礼】その2 求法の途中に顕れた奇跡(2)

西行の旅路では、玄奘は普通の人なら肉体的に耐えられないような危険を何百回も経験しましたが、彼はどのように乗り越えたのでしょうか?
2023/08/28 秦順天

【三蔵法師の巡礼】その2 求法の途中に顕れた奇跡(1)

西行の旅路では、玄奘は普通の人なら肉体的に耐えられないような危険を何百回も経験しました。玄奘はどのように乗り越えたのでしょうか?
2023/08/28 秦順天

 「普く衆生を済度する」 玄奘三蔵の生涯(上)

唐の僧侶である唐三蔵が日本では三蔵法師として知られています。三蔵法師は陳瑋(チン・イ)という俗名を持ち、現在の河南省偃師県の南部で生まれました。彼が出家してからの戒名は玄奘であるため、現在でも玄奘三蔵と呼ばれています。
2022/03/22

【古典の味わい】貞観政要 11

貞観の初年の頃、太宗が侍臣に向かってこう言われた。「君主としての道は、まず人民が安心して生きられるようにすることだ。もしも、重税を課すなどして人民を苦しめ、君主が贅沢三昧をするならば、それは自分の足の肉を喰って自分の
2022/02/06 鳥飼聡

冥界の使者も欲しがった 天才画家 韓干の馬画

韓干の描く馬画の神技は、当時の唐の時代では、他に比べものがないほど優れており、その凄さを物語るいくつかの伝説が伝わっています
2022/01/18

古代と異なる中秋節 月餅はいつから普及したのか?

中秋節の贈り物は、昔から中秋の名物として親しまれてきました。中秋節の贈り物は、いつ頃から始まったのでしょうか?また、古代と現代では、中秋節の贈り物が異なっています。古代や中世の中秋節で、月餅を贈らなければ、何を贈ったのでしょうか?そもそも月餅はいつから普及し、形は今と同じでしょうか?これらを一緒に推測してみましょう。
2021/09/21

中国建築上の十の奇跡(十) ―楽山大仏

楽山大仏は四川省楽山市岷江東岸にあり、大渡河、青衣江という三つの大きな川の合流点に位置します。仏像は唐玄宗開元元年(713年)に彫り始め、90年余りの時間をかけて、唐徳宗貞元十九年(803年)に完成しました。
2021/08/13

【古典の味わい】貞観政要 10

太宗も、おん自ら祭壇の前で哭し、死者への哀悼を尽くした。
2021/08/12

【古典の味わい】貞観政要 9

太宗は医者に「この者を治療せよ」と命じた。
2021/08/10

【古典の味わい】貞観政要 8

朕は今日、張公謹の死を聞いて、心の底から悲しんでいる。
2021/08/08

【古典の味わい】貞観政要 5

陛下。そもそも帝王たる人物は、内側に神明なる心を持ちますが、外に向けては奥ゆかしく、寡黙で、何も言わないのです。
2021/08/05

【古典の味わい】貞観政要 3

太宗のその言葉を受けて、側近の魏徴が、太宗にこう申し上げた。
2021/08/03

【古典の味わい】貞観政要 1

中国に貞観(じょうがん)という年号の時代がありました。
2021/08/02

【古典の味わい】貞観政要 2

貞観2年、太宗は左右に侍する臣下に向かい、こう申された。
2021/08/02

地図では見つけられない蝦国の王女の夫になってしまった学生

唐の則天武后の時代に、ある唐の学生が新羅の使者と一緒に航海に出ましたが、途中、嵐に遭遇し、ある場所に流されました。 この国は非常に特殊で、老若男女を問わず、みんな長いヒゲを生やしており、人々が話す言葉は唐の時代の言語に似ています。この国は長須(ながす)国と呼ばれ、扶桑の諸島あたり(日本の近く)に位置しています。
2021/07/25

【歌の手帳】千代に八千代に

わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで
2021/06/27

孔子が霊験を現わし、信者を守る

中国には、仏教や道教の神々を祀った寺院が数多くあり、他の神々を祀った寺院もたくさんあります。その中には、孔子を祀った「孔子廟」があります。貴州省南部に謇(ジアン)という名の将校がいて、彼の家は孔子廟の隣にあります。何年もの間、謇将校は、食事をするたびに、必ず食事を少し分けて孔子にお供えしていました
2021/06/13

【紀元曙光】2020年6月27日

日本人は、総じて言葉に「唐」を使うのが好きなのだろう。嫌いなら、使うはずもない。
2020/06/30

【紀元曙光】2020年6月26日

夏の味覚にも多々あるが、いいトウモロコシが安価で店先に並ぶと、やはり嬉しい。
2020/06/30

盛唐と深い縁を持った男 阿倍仲麻呂

717年3月、19歳の仲麻呂は総勢557人からなる第9次遣唐使の1人として、日本を出航し、唐の文化古都・長安に向かいました。同行していた者の中には、吉備真備と玄昉等がいました。
2019/08/26