韓干の描く馬画の神技は、当時の唐の時代では、他に比べものがないほど優れており、その凄さを物語るいくつかの伝説が伝わっています
冥界の使者が韓干の絵を求める
これは、韓干がすでに隠居していた時期のこと。ある晩、赤い服を着、黒い帽子をかぶった男が韓干の家の前に現れました。
真夜中、韓干は突然訪ねて来たこの男を見て驚愕し、「何をしに来たのか?」と尋ねました。
男は「私は冥界の使者だ。あなたが馬を描くのが得意だと聞いた。私に馬を描いてほしい」と答えました。
韓干はすぐにこの男のために馬を描き、描いた後、すぐに燃やしました。すると、その使者は。
「良い馬をくれたな。私もお礼をしなくては」と言いました。
しばらくすると、全く見知らぬ者が韓干の家を訪ねてきて、「お礼の上質の絹です」と言って、大きな荷車1台分もある絹を持ってきました。なん
と、その絹はあの男からの礼だったのです。
生きた絵
唐徳宗建立初年、ある馬医のところへ男が馬を連れてやってきて、「この馬は足の病気を患っている。何とかして治してほしい。いくらでも払う」と言いました。
その馬医は長年、馬と接してきましたが、しかし、この馬のような毛色や骨格を見たことはありませんでした。馬医は笑いながら「この馬は韓干が描いた絵の中の馬にそっくりだ」と言いました。
馬の様態を確かめようと、馬医はこの馬の主人に市場を一周するよう頼みました。もちろん、馬医も同行しました。すると、向かい側から韓干が歩いてきて、この馬を見た瞬間、「これはまさに私が描いた馬ではないか」と驚いたのです。そして、韓干は馬をなでながら、自分の画は本当に生きているとため息をつきました。
この時、彼は馬の足取りが少しおかしいことに気づき、ふと、もしかすると自分が描いた馬に不備なところがあるのではないかと思いました。慌てて家に帰り、自分の絵を詳しく観察したところ、確かに蹄のところの墨が不十分で、画の出来としては多少不完全なものになっていました。この話は皆の噂となり、韓干の「生きた絵」が世間に名を轟かせたのです。
生き生きとした生命力
絵が完成した瞬間、その絵には「生命」が与えられ、生きていると言えるでしょう。本当に良い作品は、その時期の流行、潮流、人々の好みに左右されるものではなく、また各世代の認識の違いなども越え、いつまで経っても「素晴らしい」作品でいられるのです。
(翻訳・金水静)
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