女子バレー界の「鉄のハンマ―」、中国初のクラブチーム監督に就任

【大紀元日本8月14日】中米両国の女子バレーボール代表監督を務めていた郎平さん(49歳)が8月10日、中国初のバレーボールのクラブチーム監督に就任した。

郎平さんが就任するクラブチームは広東省の「恒大バレーボールクラブ」。中国の不動産企業「恒大地産集団」が全額出資する、国内初のバレーボールのクラブチームである。

郎平さんは80年代、中国女子代表チームの黄金時代にエースを務め、チームを幾度も勝利に導いた。当時は、その強力なスパイクで「鉄榔頭」(鉄のハンマー)の愛称がつけられていた。

1986年に現役を引退。その後アメリカに留学した。1989年からイタリアのクラブチーム、米ニューメキシコ州の女子チームの監督を経て、1995年に中国女子代表監督に就任。翌年のアトランタ五輪でチームは銀メダルを獲得した。

1999年に中国女子代表監督を退任。その後イタリア・セリエAのクラブチームの監督を務め、2002年、バレーボール殿堂入りを果たした。

2005年には、アメリカ女子代表監督に就任し、90勝49敗の成績を残し、2008年の北京五輪で銀メダルを獲得した。その際、中国国内からは、国の裏切り者との批判が噴出した。 同年、アメリカ女子代表監督の続投の要請を断り退任。2009年4月までトルコのクラブチームの監督を務めた。

中国代表監督復帰については「優秀な指導者がたくさんいる」とコメントした。

今回の監督就任について、クラブチーム側は、郎平さんの素晴らしい監督能力を生かして、国内一流のチームを作りたい、としている。

(記者・鄭煌、翻訳編集・叶子)

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