この記事は 『進化論』~実証されることのない仮説(上)の続きです。
アインシュタイン:神が星の運行に力を与えた
相対性理論を発見し、1921年にノーベル賞を受賞するなど、今日もっとも偉大な科学者と称されるアインシュタインは、有神論者としても知られている。
ある日、記者から宗教についての見解を求められたアインシュタインは、「このコーヒーカップをここに置いた人は、誰か分かりますか?」と問いかけた。記者は、当然のように「もちろん、アインシュタイン博士、あなたです」と答えた。
アインシュタインは、「コーヒーカップなどの小さい物でも、ある力が働かなければ動かすことは出来ません。考えてみてください。この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいません」と説明した。
あるインタビューでは、「一部の人は、宗教は科学理論に合致しないと考えている。私は科学者で、今日の科学は、特定の物体の存在を証明することができるが、特定の物体が存在しないことを証明することはできない。従って、われわれがある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在しないということを断定してはならない」と語った。
さらに『原子核』を例として、「数年前に、例えばわれわれが原子核の存在を証明できなければ、もしその時、『原子核は存在しないのだ』と断言していたとしたら、それは大変な誤りを犯していたのではなかろうか?」と説明した。
アインシュタインは『神』の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」と語った。
ニュートン:望遠鏡の先に「神」の痕跡が見える
アインシュタインがもっとも尊敬する科学者がアイザック・ニュートン(Isaac Newton)であり、「真の偉大な科学者はニュートンだ。私はただ、ニュートンが計算上にあった誤りを修正しただけだ」と謙虚に話したことがあった。ニュートンの天才ぶりは多方面にわたり、天文、地理、数学、神学等において、輝かしい実績があり、もっとも著名な著作『自然科学の数学原理』が近代科学の礎石とも言えよう。
一方、英国の著名な天文学者ハレーはニュートンの親友であり、ハレー彗星の軌道を推算した人物だった。かつて、ハレーは宇宙の万物が神によって創造されたとは、信じていなかった。ある日、ニュートンは太陽系の模型を作った。中央には金メッキの太陽が配置され、周辺の惑星はそれぞれの位置にあり、レバーを操作すると、各惑星が軌道に沿ってゆっくりと動き出すという、見事な仕掛けであった。
ハレーは、その模型を見て驚嘆し、誰が作ったのかと問いかけた。ニュートンはハレーの肩を叩き、「この模型は精巧ではあるが、しかし、本当の太陽系に比べたら、大したことではないのだ。誰がこの模型を作ったにしても、模型より億万倍も精巧である太陽系は、全ての力が備わっている神が、高度な智恵を使い創造したのではないのか?」と説明した。ハレーはその言葉に打たれ、神の存在を信じるようになった。
ニュートンは神学者でもあり、一生を神学の研究に尽力し、科学への探求は余興にしていた。自分の科学の実績について、ただ「神の思想に追随する」だけであるとし、宇宙の万物について、「宇宙の万物は、全ての能力が備わっている神が掌握し統治しているのだ。私には望遠鏡の先に神の痕跡が見える」と語った。
『進化論』最大の欠陥:人間の心、道徳はどう進化したのか
地球上の全生物の中で、人類のみが燦爛とした文化の発展を遂げ、社会組織、宗教礼拝、学校教育、科学技術および高度な思想の感性を表現する能力をもっている。『進化論』では、道徳や、思想の感性を解釈できない。もっとも重要なことは、人間には「善良な心と道徳観」があるということである。これは他の生物にはないものであり、進化論では説明ができない。
アインシュタインは、「無形の魂および有形の身体が一体である」という哲学者バルッシュ・ドゥ・スピノザの見解に共感した。キリスト教は、人間には肉体の他に魂があるとしている。魂は道家がいうところの「元神」に類似する。人間の道徳観は、魂に由来するのである。マヤ暦の予言が現実のものとなるかどうかは別として、明らかに人間の道徳観は堕落しつつある。自らの魂をないがしろにしているということに、気が付くことがなければ、人類はすべての終焉を迎え入れることになろう。
(翻訳編集・豊山/高遠)
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