1912年、ドーソン(下の油絵後列左から3人目)が4年にわたって「発見」したとされる「ピルトダウン猿人」の化石は、ついにイギリス王立地質学会の承認を得ました。大英自然史博物館地質部主任のウッドワード(後列左から4人目)は、鑑定の専門家であり論文の著者として、この発見に大きく貢献しました。こうしてピルトダウン人は一躍有名となり、証拠が乏しかった進化論にとって、一つの「動かぬ証拠」と受け止められ、人類科学史における「一里塚」と見なされるようになりました。
1915年、イギリスの画家ジョン・クックはこの油絵を描き、この「偉大な発見」を人々の記憶に定着させました。1938年7月23日、発見地ピルトダウンでは厳粛な記念集会と記念碑の建立式が行われ、この歴史的功績が刻まれました。

1.ドーソン、一躍有名に
「猿人」の発見者ドーソンは開業弁護士でしたが、彼の夢は古人類学者になることでした。そのため30年以上にわたって努力を重ねましたが、45歳になっても大英博物館の名誉化石収集員に過ぎず、50本以上の論文に化石採集者として名前が載っているだけでした。
彼は親友であるアーサー・スミス・ウッドワード(著名な人類学者、イギリス王立協会会員、大英自然史博物館館長)への手紙の中で、次のように述べています。「私はずっと大発見を待ち続けてきましたが、それは永遠に現れないようです。」
しかし1908年、一縷の望みがつながります。一つの人頭骨化石がドーソンのもとに届けられました。産出地はピルトダウン――かつてドーソンが作業員に、化石が存在する可能性があるとして注意を促していた場所でした。1911年になると、ドーソンはピルトダウンで頭骨の別の破片を発見し、この出来事は極めて重要だと考えるようになりました。
1912年6月、彼はウッドワードと神学院生シャルダン(後にジャワ「猿人」に関与し、北京「猿人」の鑑定者ともなる人物。中国名は德日進)を現地に招き、さらにいくつかの化石片を掘り出しました。
そして本文冒頭の場面へと至ります。12月に開かれたイギリス王立地質学会の会議で、ウッドワードは頭骨破片の復元模型を用い、「ピルトダウン猿人」の発見を発表しました。それは、猿から人への進化の中間段階にあたる存在で、脳は人に似ており、下顎は猿に似た特徴を持つ、典型的な猿人で、年代は約50万年前のものだと説明されました。
これは進化論における「猿人」証拠の代表例とされ、以前から議論の多かった「ジャワ猿人」と比べても、あまりにも整合的に見えました。世界中が大きな注目を集めることになります。
ウッドワードはこれを「ドーソン曙人」と命名しました。この「曙光」は進化論の進路を照らすものとして受け取られ、世界中に広く知られることになりました。
2.ウッドワード仮説「実現」、学界の頂点へ
最大の受益者はドーソンではなく、ウッドワードでした。ピルトダウン「猿人」は、ウッドワードの仮説――「人間の脳は身体の他の部分(下顎を含む)よりも先に進化した」――を裏づけるものとして受け止められたのです。
それ以前、最初の猿人はジャワで発見され、「人の大腿骨と猿の頭骨片」という組み合わせでした。反対派は二種の生物を寄せ集めたものだと主張し、支持派は猿人だと認定しました。もし猿人であれば、「人の身体が脳より先に進化した」ことを意味します。ウッドワードはこの見方を誤りだと考えていましたが、彼自身の「ウッドワード仮説」には、それを裏づける証拠がありませんでした。ところがここで、まるで天から思いがけない贈り物が落ちてきたかのような状況が生まれたのです。
ウッドワードの仮説は証明されたものとして受け止められ、名声は急速に高まり、彼は学界の頂点に立ちました。進化論の創始者であるダーウィンやウォレスに次ぐ、偉大な人類学者・進化学者と称されるようになります。
3.ピルトダウンは「聖地」となる
ドーソン、ウッドワード、シャルダンは人類の「祖先」を掘り出すと同時に、結果として世界中に「先祖探し」の落とし穴を掘ることになりました。ピルトダウン遺跡の発掘現場は瞬く間に聖地のように扱われ、各界の専門家や名士が「巡礼」のように訪れました。
ある学者たちは驚きをもって語りました。人類の「進化」には二つの道があったのではないか――一つはジャワ「猿人」の「身体が脳に先行する」進化、もう一つはピルトダウン「猿人」の「脳が身体に先行する」進化である、と。進化とはこれほど多様なのかと。しかし内情を知る者から見れば、問題はそれほど単純ではありませんでした。どちらか一方、あるいは両方が誤っている可能性もあったのです。
4.疑問に直面しても、掘り続ける
次第に学者たちの間から、「ピルトダウン猿人の化石は、人と猿の骨を誤って組み合わせたものではないか」という疑問の声が上がりました。これに対しウッドワードは、発掘を続けた「成果」を示すことで反論します。さらに「猿人が作ったとされる簡単な道具」を掘り出し、証拠はますます整ってきたとして、一部の疑念は確かに和らぎました。
5.権威の「予言」、博士が実現
唯一の弱点と見なされたのは、ピルトダウン猿人に見られる一つの「不自然さ」でした。それは、下顎がまったく人らしくない点です。猿人であれば、猿と人の双方の特徴を併せ持つはずですが、ピルトダウン化石の下顎は完全に猿のものでした。しかも残っていたのは奥歯(臼歯)2本だけで、重要とされる犬歯が欠けていました。
なぜ犬歯が重要なのかというと、猿の犬歯は長く鋭い牙であるのに対し、人の犬歯(八重歯)は短く鈍く、他の歯と揃っているからです。進化論の枠組みでは、猿人の犬歯はその中間的な形状を持つと考えられていました。
この不自然さに対して、ウッドワードは明確に予言しました。「必ず犬歯の化石が見つかり、それが猿人であることを示すだろう。」
これは極めて困難な予言でした。人類化石自体が非常に希少で、完全な状態のものはさらに稀であり、多くは断片的です。ピルトダウン猿人の下顎化石には臼歯2本しか残っておらず、30本以上の歯が失われたまま、4年間見つかっていませんでした。化石化せずに失われた可能性も高く、犬歯が化石として残り、しかも発見されると断言することは、常識的には難しかったはずです。
ところが再び「奇跡」とも言える出来事が起こり、予言は的中したと受け止められました。1913年8月29日、32歳のシャルダン――パリ大学で古生物学と地質学の博士号を持つ人物――が、下顎が出土した地点の近くで犬歯1本を掘り出したのです。その歯は先端が磨耗して平らになっており、猿より短く鈍く、人にやや似た形をしていました。進化の中間段階を示すものと解釈され、ウッドワードの理論を改めて支持する証拠とされただけでなく、「ウッドワードの予言」そのものを実証したかのように受け止められました。
これ以降、主流の専門家の間でピルトダウン「猿人」を疑う声は次第に消え、栄誉は一極に集中し、議論の余地はほとんどなくなりました。
これは進化論にとって第二の「証拠」として扱われ、疑問の多かった「ジャワ猿人」の正当性をも裏づけるかのように受け止められました。こうして進化論は自信を深め、当時の教会の腐敗や、束縛から解放を求める社会的潮流の中で、仮説であったものが真理のように受け取られ、繰り返し人々に刷り込まれていきました。その結果、次第に宗教的な神創論を信じなくなる人も増えていきました。
6.反対派が動かぬ証拠を出すも、専門家は耳を塞ぐ
ピルトダウン「猿人」が称賛を集めていた頃、イギリスの歯科医マーストンは一貫してピルトダウン人を批判し、決定的とも言える証拠を提示しました。
① 頭骨は成人のものである――骨縫合が癒合しているため。下顎は未成年の猿のものである――臼歯が未発達なため。
② 化石の色が濃いのは、ドーソンが重クロム酸カリウム溶液に浸して補強・染色し、古く見せた結果である。
マーストン歯科医は問題の核心を突き、発言を続けましたが、学界はこれに対して沈黙しました。その理由は、提示された証拠があまりにも明白で、古人類学者たちが自らの誤りや無知をさらすことを恐れ、口を閉ざしたからだと考えられます。
その証拠は肉眼でも判断できるものでしたが、専門家たちは検証を避けました。なぜなら、①の指摘だけでも致命的だったからです。
応答すれば正体が露見するため、問題を回避し、人々の記憶から薄れさせる道が選ばれました。一方で、主流メディアと言論空間を通じて「争いのない事実」が作り上げられ、ピルトダウン「猿人」という「真理」が語り続けられました。その結果、このテーマに関する博士論文は500本以上も発表されました。
これは進化論が一貫して用いてきた最も効果的な手法であり、学問というよりも、方法論として機能した側面があったと言えるでしょう。この手法の背景を理解するためには、当時の時代状況を振り返る必要があります。
7.大きな背景の中で、「猿人」は重大
進化論の思想は、1856年にイギリスの博物学者ウォレスが『博物学記録』で初めて公表しましたが、ほとんど注目されませんでした。
1858年、ウォレスは成熟した進化論文をダーウィンに送りました。ダーウィンは自分が遅れていることに気づきます。イギリスの科学界の巨匠ライエルの仲介で、同年7月、ダーウィンとウォレスはロンドンのリンネ協会で同時に進化論(自然選択説)を発表しましたが、やはり注目されませんでした。
1859年、ダーウィンの『種の起源』が出版され、豊富な「進化論思想」は世界を震撼させました。人々はその大胆さに驚き、圧倒的多数が反対しました。

進化論は当時の宗教的束縛から逃れたいという思潮に合致していましたが、説得力は十分ではありませんでした。なぜなら、種は互いに孤立しているように見え、進化の過渡段階や中間段階が確認できず、実証的な証拠が乏しかったからです。ダーウィンはこれに対し、化石記録が不完全なだけで、将来必ず中間段階の化石が見つかり、進化論が裏づけられると説明しました。これがダーウィンの予言です。
証拠が乏しくても、一部の「先進分子」はダーウィン主義を信奉し、その予言を実現するために、進化論の科学的証拠を探し求めました。その中で最も重要視されたのが「猿人」でした。
8.最初の証拠、論争だらけ
1891年10月、オランダ軍医デュボアはインドネシアのジャワで頭蓋骨を掘り出し、猿の一種だと判断しました。翌年8月、45フィート離れた場所で、多くの動物骨化石とともに人の大腿骨化石を掘り出しました。古生物学を学んだことのないこの軍医は、大腿骨と前年の頭蓋骨が同一個体のものだと考え、絶滅した大型チンパンジーだと判断しました。しかし進化論の「高名な人物」の助言を受け、デュボアは「猿人化石を発見した」と言い換えました。待望の証拠がついに見つかった、というわけです。
致命的な欠陥は明らかでした。45フィートも離れた二つの骨を、どうして同一個体だと断定できるのでしょうか。デュボアは「ワニが分けた」と説明しました。この荒唐無稽ともいえる説明を、当時の進化論者は受け入れました。証拠に乏しい状況の中で、彼らは後戻りできなかったのです。
9.ウッドワード、隠して握り、どうしようもない
イギリス王立協会会員であるウッドワードは、オランダ人の「ワニ説」を信じていませんでした。彼は、人の脳が先に進化し、その後に身体が進化したと考えていました。今や「天が人に従う」かのように、ピルトダウン「猿人」は科学界で公認され、主流科学の枠組みに組み込まれました。科学は「既定」の軌道を進み、大英博物館地質部主任として、ウッドワードは誰にもその「国宝」に触れさせませんでした。疑問を抱くのは自由でも、鑑定はできない、という状況でした。
一生隠し通せたとしても、死後、誰がウッドワードの代わりに化石を隠し続けるのでしょうか。
10.やむを得ぬ鑑定、瞬時に崩壊
歯科医マーストンの長年にわたる孤独な戦いは、次第に他の人々の心も動かしました。また、ピルトダウン「猿人」の「完璧さ」は、ジャワ猿人学派の道を塞いでいました。後に発見された「北京猿人」(実際は重ね塗りによる捏造で、後文で明らかにします)も、ピルトダウン猿人と対立しました。ピルトダウンは「脳が先、身体が後」、他の猿人は「身体が先、脳が後」とされていたからです。形勢を逆転させる最善策は競争相手を倒すことでしたが、標本は大英自然史博物館にあり、外部者は触れず、見るだけでした。
ウッドワード主任の死後、館内研究者のオークリーは、マーストン歯科医の数十年にわたる戦いに心を打たれ、化石に触れられる立場を活かして、新たな手法で検証することを決意しました。フッ素含有量測定では当初問題が見つからず、1950年に権威ある科学誌『Nature』に論文を発表してピルトダウン人を擁護しました(考古学の元素年代測定法は誤差が大きいのです)。
しかしマーストン歯科医は動かぬ証拠を示し、再測定を求めました。再測定の結果、ピルトダウン猿人の頭骨、下顎、犬歯は三つの異なる年代のものであることが判明しました。窒素含有量法でも同様に年代差が確認されました。
1953年、「ピルトダウン猿人大詐欺」が暴露された後も、多くの専門家はすぐには信じませんでした。オークリーは権威者の前で公開採取を行い、オックスフォード大学の人類学教授ワイナーと再鑑定を進め、ついに真相が明らかになりました。
① 犬歯はオランウータンのもので(本来は尖長)、精巧に研磨されて人に似せた進化中間段階の特徴を与えられ、下顎に付加されていた。
② 臼歯表面は削られ、人の歯のように見せかけられていた。
③ 頭骨は人のもの、下顎は猿のもので、接合部は精密に研磨され、一個体に見えるよう加工されていた。
④ 三部分の「化石」には複雑な染色と古色化が施され、現地の礫の色に合わせて埋められ、再び掘り出された。
⑤ 三種の骨のフッ素・窒素含有量はすべて異なり、同時代のものではなかった。
⑥ 三部分の「化石」は三つの異なる地域に由来していた。
⑦ 頭骨・下顎・歯はいずれも単なる骨で、化石ではなかった。
⑧ 後に掘り出された「猿人の道具」は、鋼鉄工具で尖らせたものだった。
クラーク卿も暴露チームの一員で、彼は驚いてこう述べました。「人工研磨の証拠は直ちに人々の注意を引きました。実際、それほど明白で、人は思わず問うでしょう――なぜこれまで気づかれなかったのか、と。」
11.世論騒然、専門家の告白、コナン・ドイルも被弾
世論は大騒ぎとなりました。ピルトダウン「猿人」の捏造は、その複雑さ、精密さ、専門性のいずれを見ても、第一発見者ドーソンの能力や認識をはるかに超えているように見えました。これは一人でできることではない、という見方が強まりました。それを一人の歯科医が数十年前に見抜いていたのです。科学界は進化論を証明するために黙殺し、41年間も詐欺を称賛してきました。
イギリス科学界は名誉を失い、世界中の古生物学者・進化論学者は面目を失いました。誰もがピルトダウン人を認め、完璧な進化の典範として広めてきたのです。「智者にして噂は止む」というのに、41年も止まらなかった。世界中の生物学者は、一人の歯科医にも及ばなかったのでしょうか。
名誉回復の唯一の方法は、ピルトダウン捏造を攻撃し、自らの英明さを際立たせることでした。関与者は徹底的に調査され、疑問視され、攻撃されました。20年以上前に亡くなっていた『シャーロック・ホームズ』の作者で推理小説家アーサー・コナン・ドイルまで、スキャンダルに巻き込まれました。

コナン・ドイルは名作『シャーロック・ホームズ』で、解剖学や古生物学への精通ぶりを示しました。もしそれが虚構に過ぎず、現実の単純な事件さえ解けないのだとすれば、数億のファンを失望させ、日本の名作アニメ『名探偵コナン』も立つ瀬がありません。もし本当に精通していながら捏造に気づき、それを暴かずに発掘隊を去っただけだとすれば、詐欺と共存し、共謀したことになりかねません。
特にコナン・ドイルは後の『失われた世界』でこう書いています。「もし頭が良く、知識があるなら、なぜ偽の骨を作らないのか。悪戯もまた人類進歩の基本的特徴ではないか。」――まるで、詐欺で世界を「進歩」させたピルトダウン猿人を裏付けるかのようです。
12.進化の専門家は歯科医に及ばず、それでも主流世論を支配
ピルトダウン「猿人」解明において、歯科医マーストンの功績は大きいにもかかわらず、徹底的に埋もれさせられました。
現在、主流の科学普及書、文献、ネット記事では、ほとんどマーストンの名は見当たりません。『隠された人類史』でのみ、彼の孤独な戦いが描かれています。この書の著者は事実の発掘を基礎にし、進化論の権威を守る必要がなかったからです。
科学界にとって欺瞞の暴露は、自らの英明さを示し、権威の威信を回復するためのものでした。一方、マーストンを語ることは、自らの無知、学界全体の無知を示すことになります。歯科医にも劣る識別能力の権威が、どうして科学言論を支配できるでしょうか。そのため、彼は意図的に「忘却」されました。
2003年、ボーンマス大学のマイルズ・ラッセル博士は、ドーソンの古文物収集に関する調査結果を発表し、少なくとも38点が明白な偽物だと結論づけました。彼は「ドーソンの学術人生は、欺瞞、策略、詐欺の上に築かれ、最終的に国際的認知を得たように見える」と指摘しました。
真贋を見分けられない進化論の権威たちは、いかにして長年、発言権や論文決定権を握り続け、人類の認識を誤導してきたのでしょうか。
13.批判は節度を保ち、自らを傷つけぬように
ここまで読むと、学界は自白と無実の証明のため、ピルトダウン「猿人」を徹底的に批判・反省したと思われるかもしれません。
決してそうではありません。批判は極めて控えめで、教科書には一切触れられていません。専門家だけがこの詐欺を知っています。
深入りすれば自らを傷つけるため、浅く終わらせたのです。なぜなら、深く掘れば崩れるのはピルトダウンだけでなく、「ジャワ猿人」「北京猿人」、有名なアフリカの南方猿人ルーシーなども欺瞞に巻き込まれ、進化論は事実の前で完全に窮地に立つからです。
1953年、ピルトダウン猿人が暴露された時、シャルダン博士は72歳で存命しており、重要な容疑者でした。1912年、彼は最初にドーソンとウッドワードに同行してピルトダウンを掘り、その後単独で犬歯を「掘り出し」(現地産ではなく、精巧に研磨されたもの)、極めて確率の低いウッドワードの予言を実現し、「猿人」を動かぬ証拠にしました。しかし、彼への批判はほとんど語られません。なぜでしょうか。
シャルダンは著名な人類学者であり、ジャワ「後続猿人発見」の仕掛け人、「北京猿人」の確立者でもあります。彼はそれらの場所でも捏造を指導したのでしょうか。そこにはどんなからくりがあるのでしょうか。主流学界は誰も追及しません。後文で見るように、それらの「猿人」を追及すれば、進化論者は到底負けを認められないのです。(未完・続く)
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(翻訳編集 解問)
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