【大紀元日本4月19日】枝先に残った桜の花びらが風に舞う中、疾走する馬上から放たれた矢が、鮮やかに的を射抜く。東京・浅草の隅田公園で4月17日、第28回浅草流鏑馬が行われた。
馬を走らせながら的を弓矢で射る流鏑馬(やぶさめ)は、武芸を磨く武士の嗜みとして古くから行われてきた。鎌倉時代に盛んになったが、やがて集団戦闘の時代になると個人技としての流鏑馬は衰退。江戸期に入り、八代将軍徳川吉宗の命を受けた小笠原流第20代の小笠原貞政が、小笠原の伝書を研究し新たな流鏑馬を制定した。以来、徳川将軍家の厄除け、誕生祈願などの際にしばしば流鏑馬が催され、今日では日本各地の神社の神事などで盛んに行われている。
この日、隅田公園に特設された馬場は、直線約300メートル。鎌倉時代の武士の装束に身を固めた小笠原流流鏑馬宗家とその門人による数騎が、開始を告げる扇の合図を待つ。
大勢の観客が見守る中、地響きのような馬蹄の音が左から迫り、矢を放ちながら右の彼方へあっという間に走り去って行った。あまりの速さに観客から驚嘆の声が上がる。騎乗している射手が上げる矢声(やごえ)の「いよーいん」とは、この世の全てを射るという意味の「陰陽射ん」から来ているという。
三つの的すべてを射抜く「皆中」を成し遂げる名手もいて、美しく勇壮な極技に観客は酔いしれていた。
浅草流鏑馬は台東区が1983年に観光行事のひとつとして始めたもので、同年にフランス・パリのエッフェル塔の下の公園でも、この浅草流鏑馬が披露され、パリの人々を魅了した。
(大紀元日本語編集部)
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