英国バイリンガル子育て奮闘記(52) 褒められない親 (1996年頃)

【大紀元日本9月13日】イギリスで子育てをして感じたことは、子供を「褒める」ということ。親も先生も、とにかく「褒める」。カフェテリア形式の昼食の際、全校生徒の行動を見ているボランティアのお母さんがいて、お行儀の良い子は表彰され、悪い子は警告カードが渡される。別の学校では、生徒が良いことをすると、自宅に葉書が送られていた。それぞれ、異なる校長先生のアイデアによるものなのだろうが、子供はおおっぴらに褒められる。親も有頂天になって喜んで、皆に話す。

私は、東洋文化から来たせいか、我が子を褒めてしまったら、自分も子供もおしまいになってしまうのではないかという気持ちが働き、どうも、人前で娘を自慢したり褒めたりすることができなかった。

娘が3年生の頃だったと思う。ピアノを友だちとお母さんの前でちょこちょこっと弾いていたので、「showing off!(みせびらかして)」と言ったら、プイッと二階の自室にこもってしまった。私は、他人の前で謙虚になるつもりで軽く言ったのだが、本人にとっては心にぐさりとくる一言だったようだ。ここで、歯の浮いたように、上手、上手と褒めなければいけなかったのだろうか?

というわけで、このおおっぴらな西洋と謙虚な東洋という異文化の狭間で育った娘は、今ひとつ、自分に自信がもてない子になってしまった。日本女性の謙虚さはいいのだが、その裏には虐げられた不満が募っていることが多い。どうやら、この暗い部分を知らず知らずに伝えてしまったようだ。学校の先生からは、 授業中に発言せず「おとなしすぎる」と面談のたびに一律のコメントを受けてきた。しかし、音楽と美術の先生だけが、躊躇なく褒めてくださった。言語を使わない分野なので、異文化による誤解が薄いのだろうか。

後日、娘が美術学校に行ったとき、進路決定の際にルームメート達が、これまで褒められたことしかないから、本当の自分の能力がつかめないと悩んでいたという。「褒め過ぎ」文化の弊害もあるわけで、自信をつけさせることと謙虚であることの両方を育むことが大切だ。しかし、口で言うほど優しいことではない。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。