【大紀元日本10月24日】歴史作家が「小説中の人」として描いた人物が広く読者に受け入れられ、いつしかそれが実像のように先行して動き出すという例は、これまでにもいくつかあった。
坂本龍馬へのブーム的人気は、今回を含めると何回目になるのだろう。その火付け役は、言うまでもなく司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(昭和37年6月より産経新聞連載)である。司馬竜馬の欠点を無理に挙げるとすれば面白すぎるということに尽きるが、作者である司馬自身は、実在の坂本龍馬と区別するために小説中での名を「竜馬」にしたという。あくまでも「竜馬」は小説なのである。
とは言え、薩長同盟、大政奉還など歴史上の大仕事を成し遂げた坂本龍馬にあやかろうと、今日の政治家も含めて「竜馬かぶれ」が増えるのは、悪いことではなかろうが、いささか軽薄の感も免れない。口ばかりでなく、せめて坂本龍馬の百分の一でも、公益と天道に則した実績を歴史に残してほしいと願うばかりだ。
坂本龍馬以上に、小説中に描かれた主人公が日本人の精神の理想型となった例として、吉川英治の『宮本武蔵』(昭和10年8月より朝日新聞連載)がある。
徳川時代を目前にした戦国末期、功名心ひとつで関が原の戦場へ朋輩又八とともに赴いた新免武蔵は、落ち武者の惨めさ、故郷の村人から受けた仕打ちなどのため、その心を荒れ果てたものにしていた。しかし禅僧沢庵の厳しい導き、姫路城天守閣で3年の幽閉ののち、ひたむきな若き武芸者に生まれ変わり、名も宮本武蔵と改める。剣禅一如の道を求め、力の剣から精神の剣へと修行を重ねる人間形成の物語を、私も今日まで何度読み返したか知れない。
武蔵が出てくる場面ではないが、この小説の初めのあたりに故郷宮本村でのこんな花摘みの描写があったことに最近気づいた。(以下引用)
村から四、五町ほど下流の英田川の河原には、繚乱と春の草花がさいていた。お通は、負い籠をそこにおろして、蝶の群にかこまれながら、もうそこらの花の根に、鎌の先を動かしている。「平和だなあ」。青年沢庵は、若くして多感な、そして宗教家らしい詠嘆を洩らしてその側に立った。お通が、せっせと花を刈っている仕事には手伝おうともしないのである。
「お通さん、おまえの今の姿は、平和そのものだよ。人間は誰でも、こうして、万華の浄土に生を楽しんでいられるものを。好んで泣き、好んで悩み、愛欲と修羅の坩堝へ、われから墜ちて行って、八寒十熱の炎に焦かなければ気がすまない。お通さんだけは、そうさせたくないものだな」(引用以上)
お通がここで刈り摘んでいる花は、明日の潅仏会につかうものである。
明るい野で花を摘むお通と、それを見守りながら語る沢庵。今日そのような美しい日本の風景が残っているかは心許ないが、それを受け継ぎ得る日本人でありたいと心から願う。
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