【大紀元日本11月15日】日本で小学校4年の春の入学時にあたる今回の訪日は、これまでの日本行きとは違い、日本を楽しむというより、「心はイギリスにあり」という感じだった。今回は日本の学校への体験入学もなかったためか、100円ショップでクラスメートへのお土産ばかり買っていた。
以前イギリスにも来てくれた日本人のお友達には、何度か会ってもらった。二人で仲良く遊んでるかなと思って覗いてみたら、なんと娘が真剣な顔をして、自分の悩みを打ち開けている。
娘の日本語がカタコトのため、お友達の方が、「エー、ちょっと待ってー。誰ちゃんがどうなったのお。分かんなくなったあ」と言っていたので、私が通訳に入ることにした。紙と鉛筆で、クラスメートの名前を書き、「この人とこの人が仲良しなの」と丸で囲んだりした。
話の内容は、娘が仲良くしていた二人の女の子の一人が、体の大きめな女の子にいつも押されたりしていたため、仕返しとして教室に誰もいないとき、この大柄な子のノートを隠していたとのこと。スペルのテスト用の小さなノートで、毎週、テスト前に、彼女が「ノートがない」と騒ぎ、テストの始まりが遅れるという。
なるほど、体の大きさでは勝てないから、娘の友達は頭を使ってイジメの仕返しをしているわけだ。そして、二人の親友が放課後、ノートを隠しているとき、娘は先生が来ないように廊下で見張りをさせられているとのこと。
人一倍、善悪の価値観がしっかりしていて、あまり灰色の部分を持たない性格の娘にとって、してはいけないことをやらされていることは、かなりの苦しみのようで、思い悩んでいる様子だった。
親にも言えない、先生にも言えない悩みごとを、地球の裏側の同世代のお友達に打ち明けたわけだ。その場では私は単なる通訳。言葉の手助けをしたに過ぎない。
何も言わずに私も彼女の悩みを胸に秘めたまま、イギリスに戻った。そして、日本では娘にとってのボランティア通訳者に過ぎなかったとは言え、敢えてプロの通訳者の規範を破り、クライアントから得た情報を第三者である夫に打ち明けた。娘同様、善悪の価値観が確立している夫は、担任に知らせるよう助言してくれた。でも、いつ?どうやって? 結局、新学期の初日に夫が娘を連れて学校に徒歩で向かう10分間を狙って、私が学校に電話を入れ、担任の先生に事情を説明した。ちょっとテンションの高いひとときだった。
先生からは「それは辛かったことでしょう」との返答。先生の方もスペル用のノートがなくなる理由が判明し、助かったに違いない。娘が親友を失わないように、絶対に名前は伏せますからお任せくださいと言われ、対処してもらった。日本を訪れていなかったら、この展開はなかった。
(続く)
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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