英国バイリンガル子育て奮闘記(64)叱られる親 (1998年 春)

【大紀元日本12月6日】学年の終わりを待たずして、最後の学期のハーフタームを境に転校させた。小さな私立で、小さな町の中にあるさらに小さな村といった感じだった。生徒も先生も親もお互いを知り尽くしている。

10歳くらいになると、胸を出すような服をつけたり、化粧をしたりする子が目につくようになったが、この小さな私立のクラスメートから招かれた最初の誕生パーティーでは、皆、体を隠すようなぶかぶかの服を着て、健全なゲームをやっていた。テレビの影響に踊らされて、変に大人びてしまう子どもたちではなさそうだ、とちょっと一安心。

前の学校では、スペルも算数も何やってるんだか、という感じだったので、お迎えに行ったあと、担任の先生と面談させてもらい、うちの子はかなり遅れていると思うので、これからの長い休みの間に宿題を出して追いつかせてください、とお願いした。 最近、州でも優れた教師として表彰された若手の男性の先生で,理科を教えていた。

日本人感覚で、漢字練習帳にあたるようなものを渡してもらえるかと思っていたら、先生の口から意外な言葉が発せられた。

「子供がやる気をなくしたら、その子はおしまいなんだ」。つまり、必要以上に押し付けるなという強いメッセージ。一応、このワガママなうるさい母親を納得させるために、クラスで一番よくできる子の理科のノートをコピーさせてくれた。(教科書がないから、この程度のことしかできないのだろう)

当時、駐在員の奥さんとしてロンドンで1人娘を育てている友人に、この話をしたら、「あら、私もね、面談でいろいろ先生に質問したら、名簿の娘の名前の横にPMってかかれたのよ。何ですか、このPMって?と聞いたら、Pushy Mother(押しつけママ)の略なんですって。頭きちゃう」と語ってくれた。子どもの芽を摘み取りかねない教育ママを、教師の方がマークするようだ。

とにかく、日本で敷かれたレールで身についてしまった習慣から自分を外すのに、かなり時間がかかってしまった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。