【大紀元日本12月27日】新しい友達はエレナだけではなかった。褐色の健康そうな肌をした小柄なルイーザ(仮名)もクラスに入ってきた。父親はコーンウォール出身の海洋生物学者で魚の捕獲量に関するコンサルタントをしているとか。母親のマリアン(仮名)は、ツバルという小さなオセアニアに浮かぶ島から来た人だった。
日本の漁業関係者がよくオセアニアの島々に行くのだろうか。私が日本人というだけで、マリアンはすごく近親感を持ってくれて、日本語のレッスンまで私から受けるようになった。
夫はコンサルタントとして地球の裏側の国々と契約しながら世界を転々としていた。子ども三人が落ち着いて育つように、マリアンがコーンウォールで1人で子育てしていた。狭い社会なので、私が以前に知り合ったサモア人の子守りさんとも仲良くしていた。なぜか日本人の私もオセアニア系のコミュニティーに少し首をつっこむようになった。
島の生活の延長なのだろうか。誰にでもすぐに寛大に物をあげる。娘が「町中でルイーザのお母さんに会ったの」といってチョコレートのパックを持って返ってきたことがある。控えめで決してシンプルとは言えない英国人のアプローチがよく分からず、自分の娘にいろいろ注意されるとマリアンは言っていた。
泳ぐことが歩くことのようで、毎日プールに通っていた。家の修理などで大工さんが来るから泳げない日が続いたら、かなり落ち込んでしまっていた。
一緒にお茶を飲んだとき、島の生活を教えてくれた。太陽エネルギーの電気とかで「天候が悪いと洗濯機が動かないから、みんな手で洗うの」とのんびりした人々の暮らしぶりが感じられる話だった。「船が来るのはいいけれど、だいたい病気を持ち込んでくるから、みんなが風邪引いたりして、うんざりするのよね」など、外界との接触はいいことばかりではないことも教えてくれた。
地球温暖化で海抜が上がるため、ツバル島は沈んでしまう運命にあるので、ニュージーランドに居住できるビザを持っているとのこと。サモア人の子守りさんと同じで、親戚が世界中に散らばっていた。
夫が国外に出稼ぎにいって、外人妻がコーンウォールで子育てしているのはマリアンだけではなかった。ジンバブウェ出身のインド系のシャーリー(仮名)の夫も、サウジアラビアでパイロットに英語を教えていて(サウジアラビアで働くと収入税がかからず、割がよいとか)、休みのときだけ息子に会いに来ていた。シャーリーは毎日、ネット経由でジンバブウェの家族とサウジアラビアの夫と電話しているようで、あまり、地元の友人がいないようだった。
終業式は地元の英国国教会で神父のお話を聞く形で行われていたが、イスラム系のため、教会には足を運んでいなかった。特にクリスマス前の終業式は、学年別の賛美歌のコンサートが行われ、とても楽しい。その国の文化として割り切ってしまえばいいのに、と残念な気がした。
(続く)
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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