【大紀元日本6月8日】中学卒業資格試験のGCSEが6月に終わった後の夏休みは、学校の切り替え時期でもあり、長くて宿題もない。バイトをする時期でもある。前々から、この時期を狙って日本に連れて行こうと考えていた。
その頃、思春期のアイデンティティー・クライシスのような様子もみせており、「私、何人?」と突然尋ねられた。ハーフでなくても、自己確立の段階で精神的に不安定な状態にあった。「英国生まれの英国育ちでコーンウォール人でしょ。たまたまお母さんの国の文化を知っているだけよ」と答えたら、「知りすぎてる」という言葉が返ってきた。
これは大変。知らない方がよかったのかしら。この時期にどちらかの文化に決めておかないと、不安定状態が長引くとも言われ、思い切って「日本」を捨てさせることにした。日本へのフライトは日本語名で予約してしまったが、「英国人として、お客様として、日本を訪問する」ことを強調した。英国の国旗とコーンウォールの黒と白の十字の入った国旗のワッペンを買い、鞄に縫い付け、「ほうらね。コーンウォール人だからね」と視覚にも訴えるようにした。
これまでは、訪日の度に、日本人になろうと努力している痛々しい姿が見受けられたが、今回はこのプレッシャーから解放されて欲しかった。そして、日本では要所要所で「外人扱い」されていた。喫茶店に入ると、店員が少し引く。娘が日本語を話すと「日本語お上手ですね」と褒められる。(日本人として受け入れられていたら、日本語を褒められることはないので、外人扱いされていることになる)
イギリス人女性で日本人の男性と結婚し、日本に居住している一家を訪問した時、「あなたはラッキーよ。外人の顔してて外国で育ってるから。私の知り合いのハーフで、外人の背丈で日本のあっちこっちで頭をぶつけながら生活してるけど、日本語以外の外国語は全くできない子がいて、かわいそう」と教えてくれた。娘は「そんなこと考えたこともなかった」と反応していた。自分の日本社会における立場を把握してくれたような感触があった。
これで娘は生粋の英国人となった。めでたしめでたし。娘は私に「私、何人?」と疑問を投げかけたことすら忘れ、この難しい時期を乗り越えてくれた。
問題は私にあった。娘が日本人でなくなったら、私は何人?子育ては家庭の文化や知恵を次世帯に伝えるという役割がある。この役割を満たさなかったのだろうか?私も日本人やめよかな、などと考え込んでしまい、国籍を本当の意味で心から超えて「私、地球人」じゃん、という結論に達するまで、精神的な不安定状態が続いてしまった…。
(続く)
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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