英国バイリンガル子育て奮闘記(95)高校へ(2005年)

【大紀元日本7月11日】5年制中学の4年生の時期に、具体的な進学の話が持ち上がる。英国の高校は2年間。大学入学資格にあたるAレベルの試験のために設定されている。特に入学試験があるわけではない。

娘の通っている私立校は特徴を打ち出すために、英国が指定するAレベルの代わりにスイスが本部のインターナショナル・バカロレア試験のためのカリキュラムを組んでいた。恵まれたことに、コーンウォール州の州都にある公立高校でも、バカロレア試験を受けるための特別のコースが設けられていた。Aレベルは3教科から4教科の選択であるのに比べ、バカロレア試験は6教科。自国語による文学、数学、人文科学(経済、文化人類学など。娘は経営学を履修していた)、科学(文系希望者は環境科学などが選択できる)、外国語、芸術関連が必須になっている。英国の制度は外国語教育が弱く、バカロレア試験に適する生徒の数も限られていた。

地元の私立は生徒も少なく、ドイツ人と中国人の寄宿生を中心としていたため、視野を広げる上でも、州都の公立高校に行ってもらった方がいいなと感じていた。幸いなことに娘の友人たちも、小さな田舎町から出ようという発想のようで、公立高校への志望が自然と固まって行った。

入学試験はないが、GCSEの模擬試験の結果を携えて、公立高校の担当者との個人面談があった。親の目から見て、娘は特に思春期の情緒不安定状態にあり、面接なんか受けられるのだろうかと思ったが、面接官はプロだった。相手の状況に合わせ、その子の一番良い面を引き出そうとしている様子が伺えた。特に小さな町の、小さな小さな私立からの移動は、多大なストレスを伴う。

学校を見学しての感想を尋ね、皆同じなのだと安心させ、まるで個人的なオリエンテーションのような面接だった。そして、バカロレアのコースはAレベルと違い、少人数で指導もキメが細かく、初日は1日アクティビティー。1ヶ月以内にグループでのキャンプなどが設けられており、徐々に新しい環境へと導入させてもらった。1時間のバス通学は最初の頃は大変だったが、一ヶ月くらいで生活の一部になっていった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。