江沢民訃報の裏に権力闘争か 派閥争いが激化
【大紀元日本7月14日】中国前国家主席・江沢民の生死をめぐる情報が錯綜する中、ポスト江沢民をにらんだ権力闘争がすでに幕を開けた。江沢民が率いる上海派閥は新華網を「ハイジャック」するなど存在感をアピールしながらも、新たな「親分」探しに早速動き出した。一方、共青団出身の胡錦濤主席直系の「団派」と党高級幹部の子弟グループ「太子党」による利権争いは徐々に表面化している。
謎の訃報報道
江沢民の訃報をいち早く報じたのは香港のアジア電視台(ATV)。ATVのオーナーである王征は現政権と深い繋がりを持っており、メディア人としてこの誤報が意味するものをよく分かっているはず。裏を取れなければ、放送に踏み切るわけはずがない。専門家は、王征が中央政府の極めて中心的な人物から確信を得てから放送を指示したと分析する。もう一説によると、上層部のある派閥が利権争いのためにATVを利用してわざとデマを流したという。その派閥は、2012年の第18回党大会で利権を得る派閥でもあると推測される。
一方、江沢民の長男・江綿恒は9日に、死去報道後初めて内モンゴルで姿を現した。同時期に賀国強政治局常務委員、張徳江副総理の相次ぐ外国訪問が報じられた。一連の動きは江沢民の危篤説を一蹴し、すぐにも死ぬかもしれないほどの命の危険がないとの憶測が広まった。
ただ、この一連の動きは人の目をくらますための策略である可能性があるとも言われている。
かつて_deng_小平は、5カ月間の延命措置がとられた後にやっと、死亡を「許可」された。江沢民の死も派閥の利権争いが一段落した時点でやってくるだろう。
上海派閥の動き:大樹を失った猿のよう
死去報道から一夜を開けた7日朝、新華社通信傘下の新華網のトップ記事に「賀国強政治局委員、ポーランド最高監察院長と会談」というフォトニュースが掲載された。その後、関連のシリーズ報道が始まり、ポーランド訪問は最大級に扱われた。
9人の中央政治局常務委員の中でナンバー8の賀国強のポーランド要人との会談がトップ記事になるほどの大義名分はない。上海派閥の一員である賀の動きを利用して、派閥の基盤が緩んでいないことをアピールしていると見られている。
さらに数時間後、新華網は賀国強の記事を取り下げ、同じく上海派閥に属する政治局常務委員である賈慶林と周永康がそれぞれ台中市長、北朝鮮要人と会談した記事をトップに掲載した。いずれも重要ニュースではないが、江の訃報を強く意識し、派閥の人心離れを何とか避けたい意図が見え隠れている。
米在住の時事評論家・李天笑氏は江沢民死亡を否定した新華社通信の記事は、時間稼ぎのためだと分析する。江沢民への評価をめぐって、上海派閥がほかの派閥と駆け引きしていると見ている。江沢民への評価は派閥メンバーの政治生命に影響を与えかねないとして、胡錦濤らの団派は今後の布陣のために時間を必要としている。一方、上海派閥のメンバーは今後の親分探しに時間を稼ぎたい。その思惑が一致したため、江沢民は今死にたくても死にきれない状態にある。江沢民の家族はすでに延命措置の停止に同意していたとも報じられている。
江沢民の親戚でもある周永康は、江の民衆弾圧路線を引き継いだシンボルと見なされ、第17回党大会で政治局常務委員会入りを果たした。とくに、江主導の法輪功弾圧において、周は急先鋒として迫害に加担していた。江の健康状態をよく知る周は4日、上海市を視察した際、「権力は人民によって賦与されたものだ」と口にした。これは太子党の代表格である習近平副主席が提唱したもので、周は早くもくら替えの用意があると習にメッセージを送った。
上海派閥の今後について、専門家はメンバーの多くが今後胡錦濤の団派陣営入りし、更なるステップアップを求めるだろうとみている。派閥の中心人物らは習近平に近寄り、いつの日か捲土重来を期する。残りの人たちは温家宝首相と新たな第三勢力の形成を狙う、と分析されている。
激化する団派と太子党との権力闘争
中央指導部が刷新される2012年の第18回党大会が迫る中、江沢民の余命期間によっては権力構造に影響が出るとの見方が大半を占めている。そんな中、中国史上最大の巨額密輸事件と言われる「遠華事件」の主犯・頼昌星が、早ければ今月25日にも逃亡先のカナダから中国へ送還される可能性があるというニュースが飛び込んできた。
「遠華事件」とは、1996から1999にかけて、頼昌星を総裁とする遠華電子有限公司が、約800億元の関税を脱税したとされている事件。建国以来最大規模とされ、300人の幹部が求刑され、21人に死刑判決が下された。当時、福建省党委書記で江沢民の側近でもあった賈慶林とその妻の関与も噂されている。事件発覚後、頼昌星はカナダに逃亡した。
送還が実現されれば、江沢民一派への追及が本格的に行われ、派閥の崩壊は決定的となる。
07年秋の党大会前に、江沢民は団派の勢力拡大を阻止するために、太子党の習近平に肩入れしたといわれ、習は江沢民に近い立場を取っている。
このタイミングの送還は上海派閥の残留勢力を一掃するための団派と太子党の作戦とも読み取れる。団派にとっては、最大のライバルである上海派閥がなくなるが、上海派閥のメンバーの受け皿となりうる太子党との争いを強いられる。利権の新たな配分をめぐって権力闘争は一段と激化するに違いない。