【和のこころ】漆芸螺鈿

【大紀元日本11月28日】奈良県生駒市に奈良器の伝統を受け継ぐ作家が住むと聞いて、生駒市上町の自宅兼工房を訪ねた。生駒市北部は近年、近鉄けいはんな線の開通により宅地開発が進んでいるが、上町は周辺のニュータウンとは対照的な別天地である。刈り入れの済んだ田圃、赤い実をたわわにつけた柿の大木、道沿いに秋の草花、日本の原風景ともいえる里が広がっている。そんな里の集落の中に漆芸螺鈿(しつげいらでん)作家、山本哲さんの工房はあった。

朝6時まで仕事をしていたという山本さんは、「朝のコーヒーがまだなので、ご一緒にどうぞ」と、手ずから入れた香り高いコーヒーで迎えてくれた。「ぼくは主婦業もやっているんですよ。介護が必要な親もいますので」。漆の仕事は中断できないものが多く、夜中の方が集中できるという。

奈良で生まれ、奈良漆器の技術を受け継ぐ山本さんではあるが、漆を家業とする家に生まれたわけではない。大学では哲学を専攻し、卒業後は東京の貿易会社に職を得た。そんな山本さんが漆の世界に入るきっかけは、学生時代に強い印象を受けた、黒田辰秋の手に成る螺鈿の美しさが根底にあったという。芸術や創作で生計を立てるということを考えたことがなかった山本さんであるが、東京に住んでそれぞれの創作活動を生業としている人たちを見て「こういう生活も可能なんだ」と認識を新たにしたという。あの螺鈿を自分の手で創作してみたいという気持ちが一気に高まった。

気が付けば、奈良には漆の伝統、しかも螺鈿の技術が天平の昔から脈々と受け継がれていた。

山本哲さんと作品(撮影・Klaus Rinke)

故郷に戻り、奈良漆器の第一人者、樽井喜之氏に師事することになった。漆の仕事はとてつもない根気を求める。特に螺鈿は緻密な仕事である。

大変な世界に飛び込んだと後悔はなかったかという問いに、「それはなかった。とにかく面白くて、無我夢中でした」と山本さん。1981年に独立、その年に日本伝統工芸近畿展に入賞。以来30年、現在に至るまでに入賞、受賞は十指に余る。

山本さんの作風は実にバラエティーに富んでいる。テーマは「四季の移ろい」だというが、表現法はさまざまに変化する。「新しい表現に挑戦するのが楽しいのですよ」と言って笑った。生駒上町のやさしい風景と生活から想を得て紡ぎ出される作品は美しくて優しい。

山本さんは、なら工芸館の後継者育成事業の協力者でもある。現在、工芸館では池野江津子さんが漆芸螺鈿の研修中である。「池野さんは金沢美術工芸大学で漆の基礎を勉強しているので、私が指導することがそれほど多くあるわけでもありません。研修の3年間で自分の世界を見つけるようにすればよいのです。ただ、研修の後を見据えて研修期間を過ごすようにとアドバイスしています」と山本さん。

昔と違い漆を仕事として生計を立てていくのは簡単ではないという。一つの作品に1カ月も2カ月も要する仕事である。「プロデュース、マネージメント、マーケティングすべて自分でやらなくてはなりません。それができなければ、いくらいい仕事をしても続けられないのです」と厳しい現実を語った。

池野江津子さんは、なら工芸館の工芸フェスティバルで漆と螺鈿工芸の実演中であった。

漆芸螺鈿の実演をする池野江津子さん(撮影・Klaus Rinke)

熱心に見入る訪問客に作業をしながらの説明である。池野さんは「吸い込まれるような美しい艶のある黒、『漆黒』に魅された」と言うが、その美しい表層の下には、何層にも塗っては磨き、塗っては磨きと35を超す工程が隠されているのだ。漆黒の中から幻想的に輝(ひか)る螺鈿の材料は鮑や黒蝶貝だという。

漆と日本人の付き合いは、縄文時代にまで遡る。強力な接着剤として、木や植物の材料に塗って補強塗料として使用したらしい。正倉院に残る見事な宝物に見る高度な螺鈿の技術は唐文化が花開く中国から伝えられた。以来今日まで、奈良には漆芸螺鈿の伝統が受け継がれている。

山本哲さんの作品(撮影・Klaus Rinke)

山本哲さんの作品(撮影・Klaus Rinke)

山本哲さんの作品(撮影・Klaus Rinke)

螺鈿の材料(撮影・Klaus Rinke)

(温)