【和のこころ】華道「嵯峨御流」

【大紀元日本5月30日】5月21、22日の両日、兵庫県伊丹市にある、いたみホールで「第25回伊丹いけばな展」が開かれ、嵯峨御流、遠州流、未生流など8流派の100点近い作品が展示された。1階エントランスホールには、ひときわ目を引く8点の大作が並び、5、6階の展示室にも季節感あふれる作品が、あるものは格調高く、あるものは現代的に、それぞれ個性的に生けられ、来訪者を魅了していた。

切り花を器に生けるということに形式が与えられ、芸術に昇華したのは室町時代のことだといわれる。私的空間である寝殿造の居室が、書院造に代り床の間が拵えられ、中国から伝わった書画や器などを飾って客に見せるようになった。そこに形を整えた花、「たて花」が飾られた。足利将軍のもと、阿弥と呼ばれる同朋衆によって、能、狂言、茶、花、庭園などの東山文化が花開いた時代である。

時代が下り、大広間を飾る豪華な「立花(りっか)」から、家庭の客間をかざる「盛り花」、茶室に簡素に生けられる「茶花」などそれぞれの用に応じて形は多様化したが、すべてに共通する「いけばなの心得」は、華やかに飾り立てるのではなく、花の自然な姿、本来の美しさを表出することであるという。

嵯峨御流伊丹司所長の田中静甫さんに話を聞いた。静甫さんは物心がつくころには、自宅でいけばな教室をひらく母でやはり嵯峨御流指導者の田中和甫さんのもとで花を手にして遊んでいたという。「学生時代はスポーツが好きで、テニスをしたり、野球部のマネージャーをしたりしていました」という静甫さんだが、高校を卒業して進路を決めるときには「いけばなの道」を選んでいた。

嵯峨御流は、他流派のような家元制度をとらない。京都、大覚寺に華道総司所を置き、大覚寺門跡が総裁を務める。大覚寺を母体とする嵯峨華道専門学校で華道実技と理論を修めた師範が後進の指導をしつつ、より高度な研修機関である華道芸術学院でさらなる研鑽を続ける。

田中静甫さんは高校卒業後、華道芸術学院に入学、午前は華道理論だけではなく、色彩、造形など芸術一般に関する講義を受け、午後は実技、という生活を2年間続けた。「2年間毎日花を生けるというと、大変に聞こえるでしょ。それでも、まだまだ足りないと感じるのですよ。やればやるほど、奥の深さを感じます」と田中さん。「嵯峨駅から学院まで20分の道のりですが、途中の草花、木々を眺めて、季節感、自然の植物のありようなど多くを学びました」とも。

田中さんは現在、いけばな教室での指導以外に、司所長としての仕事など多忙な毎日を過ごす。「いけばなの今後」はどうなのだろう、率直にたずねた。「教室に来られるのは、年配の方が多いです」と。もっと、若い人にいけばなの魅力を知ってもらえるよう、機会あるごとに子供、若者のための「体験講座」を開くという。住居、ライフスタイルが変化し、生活の中の生け花も変化を迫られている。日本伝統の「いけばな」だけでなく、西洋のフラワーデザインも習得した田中さんは、インテリア感覚のアレンジメントやコサージュなども指導する。時代のニーズに応えてしなやかに花を愛でる心を伝えるということだろう。

田中静甫さんの作品、いけばな展にて(大紀元)

いけばな展の作品(大紀元)

いけばな展の作品(大紀元)

いけばな展の作品(大紀元)

いけばな展の作品(大紀元)

いけばな展の作品(大紀元)

(温)