「神のために歌う」 ~神韻アーティスト・圓曲の世界~

【大紀元日本1月16日】

「五千年の文明がシナリオで、万里の山河が大舞台。中華の申し子たちが大いに演じ、神伝文化が天上より来る」

これは、歌曲『神への誓約を果たす』の一節で、テノール歌手・圓曲の喉を通して発せられると、まるでチベット高原の雪山や湖にこだまし、幾層もの空間を突き抜けて、観客の心の奥底にある渇望と期待に響き渡るかのようである。ことばや文化、民族、年齢の違いを超えて、人々は感動で涙し、我を忘れて立ち上がり、いつまでも鳴りやまぬ歓喜の喝采を送るのである。

ニューヨークを拠点に活躍する神韻芸術団のテノール歌手・圓曲は、大きな体から重厚で力強い歌声を発するが、ただ力強いだけではなく、品があり謙虚で、礼儀正しい。チベット生まれの彼は、その後北京、スペイン、イタリア、英国で長年過ごしたことによって、チベット人の質朴さ、中原文化の品性、欧州ルネサンスのロマン主義と自由な精神とが融合した得も言われぬ文化の香りを醸し出す。

ベルカントへの憧れ

今年45歳の圓曲は、山紫水明なチベットで遊牧を営む両親のもとで生まれ育った。9歳の年、中国共産党は、チベット人に共産党の「洗脳」教育を受けさせるために、チベットから500人の眉目秀麗で聡明な子供たちを選んで、北京へ連れて行った。圓曲もその一人であった。

圓曲が生まれ育った山紫水明なチベット(AFP)

北京の中央民族学院付属中学に配属された彼は、ある日偶然にも、「右派」のレッテルを張られた先生のテープレコーダーから、世界3大テノールの一人、パヴァロッティの歌う「オー・ソレ・ミオ」やイタリアの古典的なオペラが流れているのを耳にした。

「それを聞くなり、とりこになりました」

ロマン主義のヨーロッパの真摯で明るいメロディと情熱的で自然な歌声が、70年代の中共の党文化に満ちた環境を打ち破り、この生来歌と踊りに秀でたチベットの子供を磁石のように引き付けたのであった。

それ以来、圓曲は何としても正統なベルカント唱法を学びたいと強く願うようになった。

その後数年間は、共産党の指示により不本意ながら医学を学び医療に携わることになるのだが、その間も彼の声楽に対する情熱は冷めることなく、転業のチャンスを探していた。彼のその固い決意が身近にいる善良な人の心を動かし、圓曲はついに中国音楽学院オペラ学科への入学を果たしたのであった。

卒業後、中央民族楽団でソロ歌手となったものの、党文化に染まった歌曲を歌う無味乾燥な日々の中では、生まれつき「西洋」の香りに満ちた彼の声を伸ばすチャンスを与えられず、彼が追い求めた自然で純粋で美しいベルカント唱法は抑圧されたままであった。

当時、改革開放期にあった大陸では、拝金主義の風潮の中、文芸界の人も皆、お金のために人々の好みに迎合していった。

ところが、仏の聖地・チベットで生まれた圓曲は、チベット人特有の敬虔さと純朴さから、決して周りに媚びたり、しりごみすることもなく、どんなに茨に満ちた険しい道であろうとも、真に純潔で美しい芸術の道を歩もうという決意は変わらなかった。

海外での研鑽

彼はいつも、神が按排した人の助けによって窮地を脱してきた。1997年、それまで海外に行こうなどと考えたこともなかった圓曲は、英国に居住する活佛の援助で、スペインのバルセロナで行われた第34回「フランシスコ・ヴィニャス国際声楽コンクール」に参加することになった。

舞台に上がった彼が明朗で美しい声を発すると、劇場全体があっという間に「オー・ソレ・ミオ」のロマンと情熱で溢れた。審査員は誰もが彼の歌声に身震いし、発声、発音、呼吸や息継ぎをじっと注視した。

「すばらしい!これほどに浸透力のある声を長年聞いたことがない。私たちのところへ来なさい。奨学金を出すから」

コンクールが終わると、審査委員長はすぐさま彼をスペインの著名なLICEU音楽学院に推薦した。圓曲はそこで3年間声楽を学ぶチャンスを与えられた。

その後も、イタリアの女性の援助で、ベルカント唱法の発祥の地であるイタリアで勉強するチャンスに恵まれ、自らをベルカントの世界に導いたパヴァロッティの声楽の授業を受けることもできた。

こうして、圓曲は、神の按排によって、世界の超一流の指導を受け、しっかりとした基礎を築きあげていった。

神韻との出会い

「それこそが、私の声楽における本当の旅立ちでした」

圓曲はイタリアで、著名なオペラ教育家でテノール歌手のカルロ・ベルゴンツイ(左)の指導を受けた(圓曲提供)

2007年、圓曲はイギリスで、一生涯でもっとも幸運なことに巡り合った。彼は今でもその夏の朝のことをはっきりと覚えている。ある朝、英字新聞を買おうと外に出たところ、見ず知らずの西洋人が彼に中国語の「大紀元時報」をくれた。その新聞に、新唐人テレビ主催の「グローバル華人声楽コンテスト」の知らせが載っていたのである。

「私はすぐさまそこに電話しました。参加するために」

ところが残念なことに、申込み期間はすでに過ぎていたため、翌年まで待たなければならなかった。待ち焦がれていた2008年のコンテストに参加した彼は、決勝の直前に体調を崩し棄権も考えたが、コンテストのスタッフの無私の貢献と、純真、純善、純美の正統な声楽芸術を広めようとする真摯な心が、圓曲の心を深く打ち、決勝に参加、結果は銅賞であった。彼は翌年も再度同じコンテストに参加し、男子の部で金賞の栄冠に輝いた。

このコンテストへの参加が縁で、圓曲は神韻芸術団に加わることとなった。「神韻芸術団に入ることができて、本当に幸運でした。神韻には世界中から最高の華人アーティストが集まっており、ここは、浄土です。みんなが互いに助け合い、いかなる名利の衝突もありません。みんなが考えているのは、いかにして技芸を高め、最高の芸術を観客に届けるかということだけです」

神韻は神の使者

神韻芸術団は極めて神秘的な場所だと圓曲は言う。そこに加わってから、芸術の潜在能力が引き出され、各方面でめざましい向上を見せた。以前は1、2曲歌うだけで疲れたのが、今は歌えば歌うほどさわやかになり、声もよく響くようになった。

「こんなことは、以前は想像もできなかったし、どんなにすばらしい先生のクラスに参加してもなしえませんでした」。神韻芸術団には、世界でもっともすばらしい声楽の「師」がいる。この師こそが自分の声楽の技能をかつてない域にまで高めてくれたと圓曲は話す。

神韻公演の舞台で彼は、師の求めに従い、一つ一つの歌詞を正確に完璧に発声するように心がける。すると、それが非常に強いエネルギーとなって喉から出ていくのだという。

「それは一種のもっとも純粋でもっともエネルギッシュなもので、言葉では言い表すことができません。人の心の奥深くにうち響き、感動で涙がこぼれてきます」

神韻のアーティストは他とは異なる特徴がある。彼らは舞台に立つとき、自分や自分の声や自分の技巧のことなど考えない。ただただ、神の意思と神の人々への呼びかけを伝えようとするのである。

無私無我の境地の中、神韻のアーティストたちの造詣は西洋のルネサンスをはるかに超えている。彼らが表しているのは、ただ単に現実社会のヒューマニズムの精神ではない。彼らは神の使者であり、神の声を伝え、人類の神への誓約を呼び覚まし、創世主が人類のために開いた天に通じる大道を歩んでいるのである。

(翻訳編集・瀬戸)