中国崑崙山の仙人(13) 脈-2

【大紀元日本2月6日】

前書


本文は、私が知り合った先天道を修めた平先生(500歳)の経歴を記録したもので、文章はすべて記憶によるものである。何人かの人の記憶を統合したもの、または私と平先生の間であった途切れ途切れのいくつかの対話を元に書いたものであるため、文の繋がりがよくないと感じるところもあると思われる。私はそれらを一つに統合し、論理的な文脈を整えるため、想像を使った文字を加える場合があったが、事実を離れた記述はない。平先生との経験から、私は世の中の多くの出来事は人が思っているものとはまったく違うということが分かった。本文を読んだ後、多くの人は考え方が変わると思う。

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私たちがいるこの大自然も実は一つの巨大な生命であって、一つの神霊であるという。人には五臓、血液、血管などがあるように、自然界にも湖、海洋、河川、山川、息吹といった自然の生命循環の器官がある。また、人に脈があるように、自然界にも水脈、龍脈などの脈があり、これらは、自然の生命循環を形成しているのだ。自然は一つの大きな循環であって、我々人類や各種の生物などはみんなその循環の一環であり、みんな自然と繋がる脈が存在しており、自然という神霊の体の一部を構成している。

古代の人々はずっと「天人合一」を講じてきた。実は、それは人体の百穴を開けることを指している。百穴は生命と自然の脈との連接点で、人と自然の脈絡を繋ぐことにより、人体に自然のメッセージを伝え、大自然と通じさせ、最後に自然に、言わば神様の元に戻らせる。そうすることによって、人は本当の自分を見分けることができ、真の自分を取り戻すことができるのである。しかし、現代の人々は既に汚染されていて、彼らの百穴は既に自我と後天的欲望、物質的享楽によって閉じられており、自然との繋がりは断ち切られている。そのため、行けばいくほど自然から離れ、道(老子や孔子が説いた概念)から遠くなり、真の自分を見つけられなくなり、最後に完全に迷ってしまったのである。

現代の人類は既に迷っている。人類にとって、それより恐ろしいことはない。もし、彼らが今の状況から元へ戻る道を探し出せなければ、自然界での居場所はなくなり、どこも彼らを受けいれず、最後には消滅される状況に置かれてしまうからである。その時になると、天災や人災など各種の災難がやってきて、ひいては世界末日が到来する恐れがあるという。これは神が人類に下した懲罰である。実は、神は慈悲深くて、自分の体を傷つけないのと同じく、自分の子民を傷つけることはしない。神はずっと人々に、元に戻れるよう機会を与えてくれたが、人類はあまりにも迷い、自分たちの神を捨ててしまい、それらに背いてしまっているので、再び戻ることができなくなっているのだ。それは、まるで体についている汚れのように、体についたとしても、体の一部ではなく、体を汚染させないためには取り除かなければならないのと同じなのだ。

また、平先生は「凡人は物境を己境とするが、覚者は己境を物境に変化させる」という言葉を私に送ってくれた。つまり、一般の人は、周辺の環境の影響を受けやすく、それに従って、困ったり、心配したり、喜んだり、悲しんだり、むしゃくしゃしたり、七情六欲で苦しんでいる。このような人は正に凡人である。しかし、覚者は目の前のことに迷ったり、困ったりしない。彼らは、その身体と霊を純化して通じさせ、自然と一体となって、自然を感じ、自然の力を行使して、自ら境遇を変化させて自然とすることができるのだ。

平先生は、洞庭は実は中国水脈の聚結地であって、人体の一つの重要なツボのようで、中国全体の水源に対して、とても重要な役割を担っていると言った。もし洞庭が汚染されれば、中国全体の環境に影響を与えてしまうが、それは水脈が循環し通じ合っているからである。そのため、ずっと龍族が洞庭を守り続けており、それがいつも澄み切って、各水脈と滞りなく通じることを確保してきたのだという。

私はやっと平先生の言う意味が分かってきて、彼の話に驚いた。今まで知ることのできなかった多くのことを知るようになったからだ。

(翻訳編集・柳小明)