【大紀元日本8月12日】
緑樹陰濃夏日長
楼台倒影入池塘
水精簾動微風起
一架薔薇満院香
緑樹(りょくじゅ)陰濃くして、夏日(かじつ)長し。楼台(ろうだい)影を倒(さかしま)にして池塘(ちとう)に入る。水精(すいしょう)の簾(れん)動いて、微風起これば、一架(いっか)の薔薇(そうび)満院(まんいん)に香(かんば)し。
詩に云う。木々の緑が色濃く茂るほど、夏の日差しは強く、長い。池のほとりに建つ楼台は、その姿をさかさまにして、水に入りこむように水面に映っている。そんな折、水晶の玉飾りがついた簾(すだれ)がかすかに動いて、そよ風が吹いた。その風にのって、花棚のバラの香りが中庭いっぱいに満ちるのである。
晩唐の詩人、高駢(こうべん、821~887)の作。学問に優れていたばかりでなく、武芸にも秀でていたという。しかし、唐の末期という衰亡と混乱の時代が不運だったのか、志を得ないまま、部下によって謀殺された。
そんな詩人の悲運を、この詩から窺う由もない。ここはただ、山荘で夏を過ごす作者が、暑さのなかの涼感をどのように描写したかという文学の妙を味わえばよいだろう。
木々の梢が緑の色を一層濃くしているとは、それだけ夏の日差しが強く、長いから、ということになる。視覚的情景だけを描写して、その要因は何かを読者に想像させるところがいい。
第3句目の「簾がかすかに動いて、そよ風が吹いた」という表現も、なかなか心にくい。順序にしたがえば、風が吹いて簾が動く、というべきところであろう。しかし私たちの経験上、風鈴の涼やかな音を聞いて、その後に「風」を感じることもあるのではないか。水晶の玉飾りがついた簾ならば、視覚だけでなく、聴覚的な涼感も期待できる。
そして結句では、その風が運んでくるバラの芳香が中庭いっぱいに満ちるというように、嗅覚にあずけて詩の余韻を残す。漢詩が、こまやかな物語も描けることの好例であろう。
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