中華武術の起源は漢王朝に遡る。その時代の人々は自衛も含めた戦(いくさ)の為に武術を練習していた。現在、中華武術の流派は多種多様になり、それぞれが自らの流派の起源に関する逸話をもっている。
少林拳(しょうりんけん)は中国河南省登封市の嵩山少林寺から発祥し、その始祖はインドから来た達磨である。少林寺は北魏の太和19年(495年)に造られ、その32年後、達磨がこの寺院で禅法の伝授を始めた。それ以後、寺院は拡大し、僧侶は増えたが、体力が弱くて修行に精進できなかった。達磨は僧侶たちの体力を鍛えるため、易筋経と洗髄経という武術を伝授した。その後、少林寺では易筋経を元にした十八羅漢手という武術が発達し、少林拳が出来たという。
隋文帝開皇年間(西暦紀元581~600年)、皇帝の恩賞により、少林寺は広い土地を授かり、多くの耕地と巨大な財産を得た。隋朝の末頃、群雄割拠し天下が乱れていたため、巨大な財産を持つ少林寺は山賊の略奪の的になった。少林寺の僧侶たちは財産を守るため、習得した少林拳を活用して山賊と闘った。これが少林武僧(武術に長けた僧侶)で、その後、少林寺の和尚が民間武術に寺院武術の精華を取り入れて、少林武術は成熟していった。隋朝の末期、少林寺の13人の武僧が唐王の李世民を助力して唐王朝の誕生に功を立てたことから、少林武術の評判は次第に高くなっていった。
五代(907~979年)の時、少林寺の高僧である福居は18の武術流派の達人を寺に招き、3年間、武術の伝授を受けた。福居は達人の長所を取り入れ、『少林拳譜』という本を纏めた。明朝末期から清朝初期にかけて、少林武術は更に多くの拳法の精華を吸収し、正統な武術流派の地位を築き、中国北方地区の武術の総称となった。その後、少林の武術は南に伝わり、南拳派や峨眉新派の成立と発展に大きな影響を与えた。
少林拳法の要旨は拳と禅の統合で、少林寺は佛教禅宗の発祥地でもある。禅宗は心性の修練と悟りを開くことを目指しており、参禅が正しい道で、拳法などの武術は小手先の技であるとされた。修行僧たちは武術の練習を通じて身体を鍛え、より修行に精進できることを目指すと同時に、自衛力を高めて寺院を護り、法を護った。また、禅宗は武技より禅定を重んじ、闘争心を無くして俗世の心を捨てることを教えていることから、少林寺の武僧は心静かな状態で武術を学び、より高いレベルの武芸を習得できた。
少林拳法には、小洪拳、大洪拳、羅漢拳、老洪拳、炮拳、長拳、梅花拳、朝陽拳、七星拳、関東拳、青竜出海拳、流星拳、六合拳、龍虎豹蛇鶴拳など数十種類の拳法がある。その他にも、易筋経、小武功、混元一気功、陰陽気功などの修煉方法もある。
日本ではしばしば少林拳は「少林寺拳法」と混同される。現在広く知られている少林寺拳法は中国の拳術を学んだ日本人の宗道臣が日本で新たに創始した武術で、柔術など日本武術の特徴を多く有しつつ独自の技術を持つ武道で、中国少林寺で伝承されている武術とは異なる。しかし、日本国内においても少林拳の流れを汲む流派は多数存在する。
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