【大紀元日本12月3日】
盧橘花開楓葉衰
出門何処望京師
沅湘日夜東流去
不為愁人住少時
盧橘(ろきつ)花開きて、楓葉(ふうよう)衰う。門を出でて、何(いず)れの処(ところ)にか京師(けいし)を望まん。沅湘(げんしょう)日夜、東に流れ去る。愁人(しゅうじん)の為(ため)に、住(とど)まること少時(しばし)もせず。
詩に云う。盧橘の花が開き、楓(かえで)の葉が色あせていく初冬のころ。門を出て、都の方角を眺めるが、あまりに遠くて見えるはずもない。沅水(げんすい)も湘江も、日夜、東に流れ去っていく。その水は、憂愁の思いに暮れる私のために、ひと時さえとどまってもくれないのだ。
作者は中唐の詩人、戴叔倫(たいしゅくりん、732~789)。詳細な伝記に乏しい人物だが、その生涯は功績のほうが大きく、官_li_として赴任した湖南や江西でも善政をしいたことにより民衆に慕われたらしい。詩は作者の晩年の、50歳前後の作と推定される。
詩の主題は、一言でいえば無常観ということになろう。
日本の『万葉集』のなかに無常観がほとんどみられないように、上代以前の日本人にその感覚はない。日本文学のなかで無常観が主題となったのは、平安末から鎌倉期にかけての中世であった。
なかでも、「ゆく川の流れは絶えずして、またもとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」で始まる鴨長明『方丈記』は、鎌倉時代前期をかざる随筆の白眉である。
滔滔たる水の流れに人生の無常をたとえる感性。それが日本と中国でかなり共通していることを、この作例からもよく見て取れる。もちろん戴叔倫の漢詩のほうが400年ほど早いので、鴨長明がそれを目にした可能性も否定できないが、そのような直接的な影響をここでは考慮しなくていいだろう。
むしろ、漢字文化圏である日中両国人に共通の好み、と考えることにしたい。
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