【大紀元日本1月5日】
日夕見寒山
便為独往客
不知松林事
但有麏麚跡
日夕(にっせき)寒山を見る。便(すなわ)ち独往(どくおう)の客(かく)と為(な)る。松林(しょうりん)の事を知らず。但(た)だ麏麚(きんか)の跡(あと)有り。
詩に云う。日も暮れる夕べ。冬枯れの山を見て心引かれ、すぐさま私は、一人でその山へ分け入った。松林のなかに何があるかは知らない。ただ、鹿の足跡が残っているばかり。
作者は盛唐の詩人、裴迪(はいてき、716~没年不詳)。王維より十数歳も若いが、王維の無二の親友として知られる。その経歴などはほとんど伝わっていないが、王維が裴迪にあてた手紙などから、王維が彼の詩才を高く評価していたことが窺われる。
王維の山荘は、もとは初唐の詩人・宋之問(そうしもん)の所有であった。その土地の名をとって輞川荘(もうせんそう)と名づけた広大な敷地内には、山水がほどこされた二十の名勝、いわゆる輞川二十景がある。王維がそれらの風景を詩に詠い、裴迪はその全てに唱和している。表題の作も、そのなかの一首である。
題名の「鹿柴」は鹿の柵(さく)のことだという。鹿を飼育する場所の囲い、あるいは野生の鹿が入らないようにする柵など諸説ある。おそらく、実際に鹿をどうにかするという意味の柵ではなく、日本でいう柴垣(しばがき)のようなものを、ただその名称で呼んでいるだけではないかと思われる。
ともあれ、この詩の風景はすばらしい。木々が葉を落とした冬枯れの山に夕日があたる。その光景に引き寄せられるように、作者はただ一人、森林に入っていくのである。
枯淡の美といえば「冬枯れの森の朽葉(くちば)の霜の上に落ちたる月の影の寒けさ」(藤原清輔)のように、我が国『新古今和歌集』のお家芸といってもよい。
しかし漢詩の枯淡もなかなか捨て難いことが、裴迪のこの一首からうかがわれるだろう。
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