「私は行きます」や「僕は行く」という歌詞では、この歌は成立しなかった。「俺は行くぞ」と言ったら、自分で勝手に行けばいいだろうと返されて、多くの人には受け入れられなかっただろう。
「我(われ)も行(ゆ)く、心の命ずるままに」
日本のニューミュージックのなかで、歌詞の一人称に「我(われ)」を最も効果的につかって見事に成功したのは、おそらくこの曲だけであろうかと思う。
俺でも、僕でも、私でもない。我等(われら)と言ったら資本家に対峙する左翼好みの歌になってしまうので、これも違う。たった一人で天空へ昇るように、荒野へ向かう道を進む主人公は、やはり「我(われ)」でなくてはならない。
そのことに気づくのは、ブラウン管テレビの画面に中国の広い風景が映る、昭和時代の洋酒のコマーシャルのバックにこの歌が流れて来てからだった。
テーブルに置かれた梨の果実を見るように、地球全体を俯瞰して眺めている。そんな壮大なイメージをもつ歌が、恋愛の機微や青春の苦悩ばかりを歌う日本のニューミュージック界から生まれるとは、おそらく誰も思わなかったのではないか。
谷村新司さん作詞作曲の『昴-すばる-』は1980年の発売である。現代日本語のなかに古語の表現を絶妙に配置した歌詞は、おそらく他の演歌にもフォークソングにもない、新たな境地であった。
「すばる」とは、冬の星座である牡牛座に属する「プレアデス星団」を指す和語である。
この星団は、ほかに六連星(むつらぼし)という和名もある。複数の星を統べる(すべる)のが「すばる」の語源であるらしい。
古典文学のなかで、清少納言の『枕草子』に「星は昴(すばる)、彦星(ひこぼし)、太白星(ゆうづつ)」と記されているのはあまりにも有名である。さらに古くには、『古事記』や『万葉集』のなかにも「須売流玉(すまるのたま)」という形で用例が見られる。
ちなみに「太白星」は金星の異名であり、唐代の詩人・李白の生母は、太白(金星)を夢に見て李白を懐妊したといわれている。李白の名前と、字(あざな)の太白は、それにちなんで名付けられた。プレアデス星団は、中国語では「昴宿星団」という。
和語の「すばる」と聞いて、昭和の高校生たちは、さして面白くもない古典の授業で聞いたことのある『枕草子』をなんとなく思い出し、千年前の平安朝にまで思いを巡らせた。
確かに、意表を突くような『昴-すばる-』というタイトルには、フォークソングにありがちな「雨が降っているが傘がない」のような鉛色の小さな空を突き抜けて、きらめく星空の彼方へ一気に飛んで行ったような痛快な感覚を覚えた。
以来、男の子につける名前の漢字に「昴」が増えたのも、ちょっとした世の中の変化であった。会社の忘年会では、部長以上の役職の人がカラオケで『昴』を歌った。
「目を閉じて何も見えず。悲しくて目を開ければ、荒野へ向かう道より、他に見えるものはなし」
この冒頭部は、谷村さんも発表当時からヘンだと突っ込まれていたようだ。もちろん、即物的に「目を閉じたから、見えない」のではない。
人は通常、目を閉じてこそ見える心の風景をもっている。しかし「悲しみのあまり、今それが見えなくなっている」と続くことで、この歌の大きな世界が始まるのだろう。
それに続く「荒野へ向かう道」は、少なくとも日本に実存する風景ではない。それでこそ、想像の世界で異国(例えば、中国大陸のような日本ではない場所)へ聞き手を一気に連れていく効果がある。
「我は行く、青白き頬のままで。我は行く、さらば昴よ」
形容詞の「青白い」を古典文法の「青白き」にすると、それは詩語になる。谷村さんは(例えば、美しい絆ではなく「美しき絆」にするように)作詞のなかで、よくこの手法をつかっていた。
こうした日本語の古典文法は、現代語のなかでもピンポイントで適所に使用すれば、非常に心地よい格調高さを醸し出す。
昭和17年の軍歌『空の神兵』の冒頭は「藍より蒼き、大空に」である。藍より蒼い(青い)では、その大空の抜けるようなブルーが表現できない。同様に「青白い頬」では、意味は同じでも、伝える世界が一気にしぼんでしまうのだ。
「呼吸(いき)すれば胸のなか、凩(こがらし)は吠(な)き続ける。されど我が胸は熱く、夢を追い続けるなり」
現代日本語の文末に助動詞「なり」を使うのは、もはや大胆不敵というしかない。
この「なり」の基本的な意味は「断定」であるが、もう一つ、大きなものが概念としてそこに「存在」するような、どっしりとした語感を持っているのだ。
阿倍仲麻呂の歌で「春日なる三笠の山」といえば、奈良の春日野にある三笠山のことを指す。この助動詞「なり」は、夢を追い続ける私が「ここに(山のように)存在する」という大きさや重量感を表現する効果も出しているだろう。
「ああ、さんざめく、名も無き星たちよ。せめて鮮やかに、その身を終われよ」
「さんざめく(さざめく)」は、通常「笑いさざめく」というように、賑やかに音を立てて騒ぐ様子をいう。ここはおそらく谷村さん独自の解釈で、音ではなく、無数の星が天空できらめいている様子を表現しているのだが、これも秀逸な使い方といってよい。
そして、その天上の星を仰ぎながら、主人公はこう歌う。
「我も行く、心の命ずるままに。我も行く、さらば昴よ」
「我も行く(ゆく)」は、悠久の歴史に生きた無数の先人たちのように、我が身もその定めに従い、宇宙のなかで生きていくという意味であろうか。
心の命ずるままに生きることが極めて困難な現代人にとって、この一節が、どれほど勇気づけになったか知れない。
別れを告げる日本語の「さらば」は、もはや古語に属する語彙になってしまったが、現代でもなかなか捨て難い言葉である。古語ではあっても、日本人が誰も知らないような死語にはしたくない一例であろう。
別れの場面に「Good by(あなたがご機嫌良いように)」や中国語の「再見(また会いましょう)」という気づかいも、もちろん良い。ただ、人物である相手を意識して使うところが、この言葉の用法をかえって「人」に限定しているとも言える。
それに比べて日本語の「左様なら(さようなら)」は、実にあっさりしたものである。中国人などは、これを冷たいと感じるらしい。
しかし、このような切れ目がはっきりした別れ方も、実はなかなか潔く、人生の一場面としては爽やかな部類に入るのではないだろうか。
「さようなら」を、より文語調にすれば「さらば」となる。現代の若者言葉では「じゃあね」に当たるだろうが、詩文としては、やはり「さらば」でなければ重厚感が出ない。しかも「さらば」は、人以外の対象にも使えるのだ。
だからこそ主人公は、この言葉を使って天空のプレアデス星団、つまり昴に向かって「さらば、昴よ」と別れを告げるのである。
この歌詞の表現について、谷村さん自身が著書のなかで、こう書いている。
「昴」に「さらば」と告げるのは、物質文明にサヨナラを告げようという意味にほかならないのです。(『谷村新司の不思議すぎる話』より)
作詞者がそう言われるのであれば、それ以上の語釈は不要であろう。
ただ、まことに勝手な想像ながら、あまりにも多くの人が「この質問」をするので、これは谷村さんが後から考えた回答なのではないかという気もする。ともあれ、それに答えてくれるご本人は、もう星になられてしまった。
そのため、残念ながらもうお伺いする術はないが、そうだとすると「物質文明にサヨナラを告げるとは(この歌を聴いた)自分自身にとって、何なのだろう?」というように、こちら側に投げかけられた課題が残る。
おそらく多くの日本人は、生涯そのことを心に抱きながら、それぞれの道を歩いていくのではないだろうか。
古語の「然らば(さらば)」は、それでは、それならば、の意。ラ変動詞「さ・あり」の未然形に接続助詞「ば」がついたものだが、古来、別れの挨拶として日本人は「さらば」を使ってきた。
そこで、あえて自問的に考えてみる。谷村さんが書いた(遺してくれた、というべきか)物質文明にサヨナラを告げるという歌詞の「さらば、昴よ」は、単なる「決別の意味」なのだろうか。
日本語の「さらば」には、むしろ相手を大きく包み込んで自分の体内に入れるように、万感の思いを込めて、こちらから相手に「よし、全てわかった」と同意や共感を示すニュアンスがある。
軍人が互いに交わす敬礼といっては言葉がつよすぎるかもしれないが、意識としては、それにいくらか近い。「さらば」は、それ自体が一つの精神の形になるのだ。
頭上の広大な空間が宇宙であれば、今この足が立っている地球も宇宙の一部である。
その星に自身が生まれ、この地上に今おかれている事実。そのことを、深い感謝とともに認識し、いささかも否定することなく受け入れ、それぞれが有限の時間のなかで、与えられた責務を果たそうとする。
その上で「物質文明にサヨナラを告げる」という至難の業をやってのけるならば、おそらくその人は、残りの人生を、精神性に重きを置いた、心豊かな時間にすることも可能であろう。
唐代の詩人・王維の名作『渭城曲』のなかに「勸君更盡一杯酒(君に勧む、更に尽くせ一杯の酒)西出陽關無故人(西の方、陽関を出づれば 故人無からん)」の名句がある。
これから別れて行く親友の見送りにあたり、もう一杯の酒を勧める友情に、もはや多言は必要としない。語らずとも相通じる、の場面なのだ。
このような人間同士の「さらば」もあれば、宇宙との対話のなかで悟る、まことに大きな「さらば」の境地もある。
その言葉を私たちに残して、谷村さんは、どこまでも遠くへ歩いて行ったらしい。
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