【大紀元日本1月22日】以下の導入部は、単なる慣用句の話であり、深い意味はない。
日本人は、もちろん悪意などなく、慣習的に「中国四千年の歴史」という。これを中国人が聞けば必ず「違う。中国の歴史は五千年だ」と、バネを弾くように抗議を込めた訂正が入る。
中国人は、そう思っているのだから仕方がない。自国の歴史に主観が入るのは、学問以外の場であれば、わるいことではないだろう。ただし、あまりに極端なナショナリズムや、政治目的のもとに誇張された歴史観を吹き込まれたとすれば、それは中国人にとって幸せなことではない。
神話時代からの継承
自国の歴史に誇りをもつのは結構なことだ。そこで先述の、四千年か五千年かの議論について言えば、先秦時代の王朝である周と殷の前に、夏(か)という王朝があり、そこまでさかのぼれば四千年。さらに、神話時代である三皇五帝までを勘定に入れれば五千年、ということになる。日本人と中国人、どちらが間違っているわけではない。なお殷は、中国では商(しょう)と呼ばれている。
日本においても、初代神武天皇は、ヤタガラスに導かれて東征する神話のなかにこそ生き生きと登場する。専門の歴史研究者は別として、一般国民が自国の歴史に親しむ上で、神話との関係を切り離すべきではないだろう。
考えるべき問題は、その神話時代から現代に至るまで連綿と続く自民族の歴史を、どこまで「自国の歴史」と称していいかということだろう。
その度合いは、その国が現在どのような政治形態によって営まれているかによって異なる。端的に言えば、共産主義の名の下に、当世の指導者を絶対崇拝するよう国民を洗脳する国、および、そうしてきた過去を持ち、多大な犠牲者を出しながら今も悔い改めない国は、自民族の歴史に汚点を残しこそすれ、歴史の正統な継承者を名乗る資格はないのである。
「中国」という言葉の両義性
紙幅が足りないため(北朝鮮は置き)中国に限って述べる。
単に「中国」と言ったとき、私たちは、四千年あるいは五千年という悠久の歴史を擁する文明圏と、たかだか65年前に政権を奪ってできた未熟な国家である中華人民共和国とを、あまりにも同一視しすぎてはいないだろうか。
先述の言を繰り返せば、中国共産党による現在の政権は、中国の文明と歴史を継承する資格を根本的にもっていない。共産主義という外来の思想を絶対的教条とする彼らは、中国人でありながら中国人の祖国を奪った強盗犯だからである。
そのなかでも最大の罪は、彼らが政権奪取以来、くり返し発動してきた政治闘争によって、尊重するべき中国伝統文化を徹底的に破壊したことにある。現在いかに経済発展しているように見せかけても、犯すべからざる罪を犯した償いは、政権の終焉と悪魔的思想の完全消滅をもって代えるしかない。
周知のように中国の歴史は、五千年の連綿とした継続であるとともに、数十年から長くても三百年という王朝交替による「ぶつ切り史」でもある。
むしろ「ぶつ切り」が中国史の常態であるのかも知れない。ただ、そんな荒波の乱世にあっても、古代より継承されてきた中国伝統文化が、揺れる船体を安定させるバラストの役目をよく果たし、人心を安んじて社会を復興させてきた。
文化を徹底破壊したのは現政権だけ
少し詳細に中国史を見てみよう。長期にわたる王朝となった唐や清は、いずれも漢民族が開いたものではない。唐朝を建てた李氏は北方騎馬民族の鮮卑(せんぴ)が出自であるし、清朝は言うまでもなく満州族による征服王朝である。しかし彼らは、中国の伝統文化をよく保護し、また自ら進んでこれを学んだ。
同じく征服王朝であるモンゴル族の元は、漢民族とくに南宋の遺民の中国人を「南蛮子」と呼んで冷遇し、ときに恐ろしい征服者としてふるまったが、なぜか中国の国土に執着はせず、百年足らずで北方のモンゴル高原へ帰っていった。
馬上生活に慣れたモンゴル人にとっては、中国全土を苦労して統治するより、辺境に圧力をかけながら漢人と交易したほうが得策だったからだろう。また、それ以上の理由として、彼らが中国伝統文化を好まず、受容しなかったことが挙げられる。
いずれにしても、その結果、中国は文化面における大きな損害を免れた。
時代は下って20世紀初頭。中国も遅ればせながら、近代国家に生まれ変わる時がきた。辛亥革命(1911)によって清朝が倒れた翌年、中華民国が建国される。ところがこの新しい国は、アジアで最初の共和国を謳いながら、実態は各地に実権をもつ軍閥が跋扈しており、それらが独自に欧米列強と結ぶなどして、理想的な共和制国家にはほど遠い状態であった。
憂国の熱情に燃える知識青年たちは、旧態依然とした祖国の有様をみて憤慨し、例えば文芸の分野などで、古い中国を否定する論陣を張った。
それを中国伝統文化に対する批判とみることもできるだろう。しかし、彼らがしたことは、せいぜい文章や小説を書いて意見発表するぐらいで、後年の中国共産党がしたような暴力的破壊は一切なかったのである。
日本人が知るべき中国
本稿の結論を述べる段階に来た。
五千年の中国史の末端に位置する現在の中共政権は、伝統文化の破壊という絶対に犯してはならない罪を犯したまま、今なお一切の反省もなく、中国人をますます不善の谷底へ落とし入れている。中華民国以前の、どの統治者も、秦の始皇帝でさえも中共ほどの凶悪さはもたなかった。
一方、中国共産党は、自身を美化するプレゼンテーションが実にうまい。これに騙されて「新中国」に甘美な夢をみた日本人が、かつて多かった。毛主席に心酔して、熱狂のあまり赤ビニールの小冊子を携帯していた教師や労働者もいたはずだ。
加えて、第二次大戦中には日本軍が中国に攻め込んだという事実が、ある種の負い目となって肥大化し、実際には戦いの主たる相手ではなかった中国共産党に対して、不必要なまで遠慮がちになってきたのが戦後の日本人である。
中国に隣接する日本の国民は、他の国の人々にもまして、このことに気づかなければならない。これ以上、中国共産党に騙されてはならないからだ。
その明確な答えが、神韻公演のなかにある。日本人がなすべき、中国に対する再認識の第一歩は、神韻を見ることなのである。
美しく、清らかで、乱れた人心を正す中国伝統文化の真髄に、全ての日本人が触れてほしい。
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