【大紀元日本6月13日】ある日、孔子が呂梁(ろりょう)に遊んだ時、一人の男が急流の中で泳いでいるのを見かけた。孔子は悩みごとを抱えて自殺しようとしているのだと思い、急いで弟子をやって岸辺から彼を助けようとした。
弟子たちが数百歩歩いたところ、彼は水面から上がり、髪を振り乱して大きな声で歌を唄い、水の中を自在に歩いている。
孔子は男に尋ねた。「あなたはこのような激しい急流の中で泳ぐことができます。最初、私はあなたが自殺しようとしているのだと思い、その後、化け物だと思ってしまいましたが、よく見ると人間でした。お聞きしたいのですが、あなたが水中を泳ぐのに何か技があるのですか」
男は答えた。「ありません。私は慣れたところから始めて、本性のままに成長し、天命のままに出来上がっているのです。渦巻きの流れに身を任せ、水中に潜り、湧き水の流れとともに水から出ます。水についていくだけで、自分の意思を加えることはありません。私が水中を自由に泳げるのは、そのためです」
孔子は言った。「慣れたところから始めて、本性のままに成長し、天命のままに出来上がっているというのは、どういうことですか?」
男は答えた。「私はこうした丘陵と水のある地帯に生まれ、丘陵と水の環境に慣れているので、水中を自由に泳ぐことができます。これが慣れたところです。水際で育ったので、水際に安住し、水中にいるのが好きです。これが本性です。泳ぐことは、ご飯を食べ、寝ることと同様に自然と日常生活の一部となっています。なぜ泳ぐのか、そんなことは分からずにいますが、常にそうしています。これが天命なのです」
男は急流の中で自由に泳ぐことができますが、その理由はとても簡単なものでした。渦巻きに身を任せて水に入り、湧き水とともに水中を出るだけです。水の流れの法則に従い、自分の思いは加えない。言うことは簡単ですが、決して容易なことではありません。その土地で生まれ育ち、安住している人こそができるもので、男はそれを天命だと感じたのです。道家の教えは、天命に従い、無為のままに生きれば、道を悟り、真の自由を得ることができると唱えています。
(「道家史より」)
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