失脚した周永康氏 2年前の政変実施も失敗

【大紀元日本8月8日】大紀元時報米国本社が入手した最新情報によると、最近立件、捜査が発表された中国最高指導部の元メンバー、周永康・中央政治局前常務委員(71)は、2年前に政変を実施し、未遂に終わっていた。

政変実施の背景-2012年2月6日に重慶市前公安局長・王立軍(懲役刑で服役中)の米国領事館亡命未遂事件が起きた。同年3月に米国の軍事情報サイト「ワシントン・フリー・ ビーコン」が報じた米政府関係者からの匿名証言や、大紀元時報が入手した情報によれば、当時の重慶市トップ薄煕来(無期懲役刑で服役中)の元腹心だった王は米国側に、薄と江沢民派による各種重大犯罪の証拠を渡した。薄は当時、江沢民派に若手後継者として選ばれた人物だった。1カ月後の3月15日、薄は重慶市トップを解任された。温家宝・首相はその前日の記者会見で薄を痛烈に批判した。

ここにきて大紀元時報米国本社は、極秘情報をキャッチした。薄解任5日後の3月19日に最高指導部所在地・中南海で起きた政変の新情報だ。その首謀者は、司法・公安等を統轄し絶大な権力を握っていた中央政法委の当時のトップ周永康氏だった。狙いは当時の温首相を暗殺して薄への調査を阻止し、江沢民派の劣勢を挽回するためだ。江沢民・元国家主席はこの政変計画を事前に知っていたという。

インターネットには、当日深夜、中南海に接する長安街で、軍の車両が大量に出現し、あたりで銃声が響き渡っていたとの情報が上がっていた。

政変は未遂に終わり、以降、周氏は軟禁される身となった。

その後、中国政府系メディアが何度か報道した周氏の公務執行ニュースも、最高指導部が政権の安定を粉飾するためのパフォーマンスだったという。

同年11月に開催された共産党第18回全国代表大会で習近平指導部が発足。その後、汚職撲滅運動のもとで周氏の各分野における側近が相つぎ取り締まりを受けた。2013年12月初旬、本紙を含む一部の海外メディアは、周氏は身柄を拘束され、取り調べを受けていると報じた。習主席は着々と、周氏立件への環境を整えてきた。8カ月後の2014年7月29日、周氏に対する立件、捜査がついに発表された。

2013年9月に「収賄罪、横領罪、職権乱用罪」で無期懲役刑が確定した薄と、900億元(約1.5兆円)の私財が押収されたと報じられた周氏について、大紀元時報のコラムニスト趙迩珺氏は次のように評した。「当局は3割の事実しか発表していない。7割の真相が隠ぺいされている。彼らのもっとも主要な犯罪である、政変計画と弾圧されている法輪功学習者に対する組織的臓器狩りは、いまだに伏せられたままだ」

(翻訳編集・叶子)
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