【大紀元日本3月5日】「学而不思則罔 思而不学則殆」。これは『論語』に記されている。「学ぶだけで思考しなければ知識を生かすことができず、思考するばかりで知識を学ばなければ賢明な判断ができない」という意味だ。
知識を得る本来の目的は、その知識を活用することにある。学んだ知識を活用するためには、独自に再解読、認識して、他人から得たそれらを完全に自分のものにしなければならない。この過程がつまり、思考だ。この思考過程がなければ学んだ知識は本当の意味で自分の身に付かず、したがって活用することもできない。つまり、知ることとその知識を応用することは、二つの段階に分けられている。
一方、思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。しかし、思考するばかりでそこに必要な参考知識や情報がなければ、いくら考えても結論を出すことはできない。多くの情報を把握したうえで、はじめて賢明な判断を下すことができる。情報を収集するということはつまり、知識を得る、ということだ。
もちろん情報収集という学びの段階でも、情報分析という思考の段階でも、それらは全てその人の既存知識や人生観、生命観、価値観、倫理観などに強く左右される。観念は、色眼鏡やパソコンソフトのようなものだ。同じものを見ても、眼鏡の色が違えば異なる色が見え、同じ情報を分析、処理しても、ソフトが違えば処理結果は異なる。そのため、正しい結論を導き出すには正しい人生観、生命観、価値観、倫理観の形成が重要であり、それらは自分の一生を左右することになる。
実は事物の本質を洞察するには、後天的に形成された観念が少ないほど良い。観念が少なければ先天の智慧が自然に湧いてきて、事物の本質を認識することができる。これが佛道を修行する人たちの歩む道だ。
(文・学)
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