【佛家故事】 黄金毒蛇

【大紀元日本4月3日】ある日、釈尊(しゃくそん)は阿難(あなん)をつれて舎衛国の野原を散歩していた。突然、釈尊は足を止めて言った。「この田園の畔の小さな丘の下に、毒蛇が隠れている」。阿難は釈尊が指した方向を見ると、「はい、恐ろしく大きな毒蛇がいますね」と言った。ちょうどその時、付近で畑を耕していた一人の農夫が釈尊と阿難の会話を耳にした。

農夫は彼らの話の真偽を確かめるため、丘の下まで見に行った。しかし、そこには黄金が詰まった壺が置いてあるだけだった。「ここには黄金しかないのに、毒蛇がいるって?お坊さんたちは、一体何を考えているんだ。何にせよ、俺は運がいい。野良仕事をやっていても苦労が多いだけで、こんな大金を手にすることなんてできない。これで、楽ができるぞ」農夫は嬉しそうにつぶやきながら、黄金を抱え込み、急いで家に帰った。

それまで一日三度の食事さえ保障できなかった農夫の貧しい生活は一変した。家具を買い替え、立派な衣装を仕立て、豪勢な食事を食べつくし、贅沢な暮らしを送った。村の農夫たちは彼の豹変ぶりに驚き、噂は瞬く間に広まった。しばらくすると、この噂は役人の耳に入り、役人は彼の取り調べを始めた。「これまでは生活が非常に貧しかったようだが、急に金持ちになったようだな。その金は、一体どこで手に入れたんだ?盗んだのか?」農夫は何も言わなかった。彼は厳しい取調べを受けたが、自分が泥棒ではないことを証明することができなかった。家族は役人に賄賂を送って彼を助けだそうとしたが、財産を使い果たしても農夫を救う事は出来なかった。

しばらくして、農夫には死刑判決が言い渡された。死刑当日、彼は大声で叫んだ。「阿難様、それは確かに毒蛇でした。釈尊、間違いなくそれは毒蛇です」。それを聞いた官吏は不思議に思い、国王に報告した。国王は農夫に聞いた。「お前が叫んだのは、一体何のことだ。何か理由があるのか?」農夫は恐る恐る、国王に事の顛末を述べた。「ある日、私が野良仕事をしていますと、釈尊と弟子の阿難様が通りかかりました。丘の下に毒蛇がいると言いましたので、行ってみると、そこに黄金がありました。持ち主は誰だか分かりませんでしたので、こっそり黄金を持ち帰って自分のものにしてしまったのです。今、こんな酷い目にあってやっとわかりました。黄金が毒蛇だということを。黄金は、私を金持ちにしましたが、同時に私の命を落とすこともできます。まさに、毒蛇よりも恐ろしいものだったのです」

そして、農夫は自分の気持ちを詩に詠み、国王に伝えた。

釈尊は毒蛇と言い 阿難は毒蛇と言う
毒蛇は何より恐ろしい 今になって分った
愚か者は惑わされ 黄金を宝物と見なす
迷妄に終わりはなく 苦しみの深淵に落ちる
妄念を捨てれば 黄金に惑う事もなくなる

国王は農夫の心からの切実な声を聞き、釈尊の教義を信じるようになった。国王は佛を敬い、農夫を無罪放免として釈放したという。

 (翻訳編集・蘭因)