東方と西方の救世主

聖書では、人類の終末が近づくとイスラエルが復国し、その後、救世主であるメシアが現れると予言されている。教の経典の中にも、優曇華(うどんげ)が咲くと未来佛である弥勒が現れて衆生を普く済度する、との記載がある。現在、予言された「イスラエルの復国」と「優曇華の開花」はすでに確認されているが、末劫期の救世主は私達の周りに来ているのだろうか?

弥勒とメシア

 歴史、佛教、インドに詳しい季羨林(きせんりん、1911~2009年)氏と、その弟子である上海復旦大学の銭文忠(せんぶんちゅう)教授は、佛教における「未来佛の弥勒」と、キリスト教における「救世主のメシア」は同一人物である、と指摘する。

 二人の研究によれば、紀元前1000年ごろ、西アジア、北アフリカ、小アジア、メソポタミア、エジプトを含む広大な地区に、未来に救世主が現れるという信仰があった。キリスト教においては、メシアは救世主信仰の最も代表的な存在である。この信仰に関する記述は旧約聖書の中に見られる。一方、インドから広がったとされる未来佛である弥勒信仰も、佛教が普及するより遥かに昔から、そして遥かに広い地域に亘って信じられており、末世の救世主信仰の一部分を成していた。

 弥勒はサンスクリット語ではMaitreyaと書き、パーリ語ではMetteyaと書く。大唐の玄奘法師は弥勒という翻訳は間違っており、正しくは「梅但利耶」(メタリア)と訳すべきであると提唱したが、この意見は一般的には受け入れられなかった。一方、メシアはヘブライ語ではMasiahと書き(Mashiachとも書く)、その英訳はMessiahである。ギリシア語ではこれをChristosと訳し、そこからChrist(キリスト)という言葉が生まれた。サンスクリット語のMaitreyaとヘブライ語のMasiahは発音が近く、両者が同じ言葉の音訳違いであると両氏は指摘する。このような類似は人類の歴史上よく見られる現象で、故に弥勒とメシアは、実際には同じ人物を指していると結論づけている。

弥勒と轉輪聖王

 佛経の記述によると、弥勒という名は「万王の王」が末世に最も高いところから下りて来る時に使われる佛号であり、法輪聖王とは「万王の王」が法界に下りて来る時に使われる法名である(世間では轉輪聖王と呼ぶ)。故に、釈迦牟尼は弟子たちに「法輪聖王は弥勒とも称する」と説いた。

 中国の甘粛省甘南チベット族自治州夏河県に、ゲルク派六大寺のひとつであるラブラン寺がある。この寺院は1710年にジャムヤン・シェパ一世によって創建された。寺院内に祀ってあるいくつかの佛像には、未来佛、弥勒の秘密が隠されているという。

 この寺院の大金瓦殿の中央に祀ってある弥勒大佛像は、200年前にネパールの職人を招いて鋳造した金めっきの銅像で、その高さは10メートルにも及ぶ。そしてこの弥勒佛像の前には、一体の小さな釈迦牟尼佛の銅像が置かれている。このように、弥勒佛像と釈迦牟尼佛像が前後大小に並べて祀られているのは、非常に珍しい。

 ラブラン寺院のラマ僧の解釈はこうだ。「前に置かれた小さい佛像は釈迦牟尼佛と彼の弟子たちであり、後ろに置かれた大きい佛像は宇宙の中で最も神通力が高い弥勒佛である。弥勒佛は法輪を持って下りてきて、宇宙の衆生を済度し、且つ宇宙の衆生の唯一の救世主である」。ラマ僧によると、釈迦牟尼佛像と弥勒佛像の大きさの違いは、弥勒佛の次元の高さ、神通力の大きさを表わしているという。

救世主の降臨

 

 

救世主の降臨

新約聖書、旧約聖書のいずれにおいても、メシアは人類の最後の時期に地球に降臨する救世主とされている。そして、救世主であるメシアがこの世に降臨する前には、「イスラエルの復国」という徴候が見られると言い伝えられている。さらに復国した後の一代の人々は、救世主であるメシアを実際に見ることができるとも言われる。

 第二次世界大戦後、イスラエル人は数千年にわたる流浪生活を終え、1948年5月13日にエルサレムで開かれたユダヤ大会で「イスラエルの復国」を宣言した。西方の主流社会は主にキリスト教を信仰しているにも関わらず、歴史上の宗教紛争など無視するかのように今日まで半世紀余りの間、イスラエル国の存続を支持してきた。

 一方、東方においても、弥勒佛が降臨する際の兆候が各地で伝えられている。佛教の経典『慧琳音義』第八巻に次のような記載がある。「優曇華(うどんげ)は瑞祥霊異を示す天上の花で、人間界には存在しない。如来佛がこの世に下り、金輪王がこの世に現れた時、その偉大な福徳力によって、この世でも初めてこの花が見られる」。また、『法華文句』には「優曇華は霊瑞の意を示し、三千年に一度しか咲かない花である。その花が現れた時は、金輪王(轉輪聖王)がこの世に現れる時でもある」と記載されている。

 1992年以来、韓国、日本、台湾、タイ、香港、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、米国の多くの州、カナダ、ヨーロッパの多くの国、中国大陸の多くの省で、神聖かつ純潔な優曇華が確認されている。この花は根も葉も持たず、且つ土も水もないところに咲く。ガラス、鋼鉄、佛像、木の葉、紙箱、プラスチックの上でその姿が確認されているのだ。しかも、一年以上咲いたままの場合もあるという。今まで見たことのない花の登場に、植物学者たちは首をかしげている。

弥勒佛の人間像

 この世に降臨する弥勒佛は、どんな姿をしているのだろうか。これに関しても多くの予言が残されている。

 ある中国人が保管している弥勒像は、弥勒の周りに18人の子供が遊んでいる形になっているため「十八子」と称されている。「十八子」という三つの文字を合わせると「李」の字になる。これは弥勒佛が世間で「李」という名字を名乗ることを意味している。

 韓国に残されている予言本『格庵遺録』の中に、「聖人とはどんな姿なのだろうか。木子(李)の名字を名乗り、うさぎの年の4月、38級(38度線)北部の三神山の麓(長白山公主嶺)で生まれ……この聖人は天上の王の中の王で、即ち轉輪聖王である。下界に下り、世間で弥勒佛と称される」という記載がある。

 1951年(うさぎ年)5月13日(旧暦4月8日)、法輪功(法輪大法)の創始者である李洪志氏は中国吉林省公主嶺市に生まれた。この日はちょうど佛教の「降誕会」でもある。

(翻訳編集・恵明)