黄帝は夢で華胥氏の国に遊んだことにより、道の体現とその偉力を垣間見た。真の道を得て修錬しようとして、黄帝は至道に達しているという広成子を訪れ、道の奥義を伺った。
『神仙伝』巻一・広成子によると、広成子は上古の仙人で、山の石の部屋で暮らしていた。そして、広成子が千二百歳の時、黄帝が至上の道を尋ねたという。同じく『神仙伝』巻一・老子では、老子は黄帝の時に広成子になったという記述がある。
このことに関する記述が古書に複数見られるが、『荘子』在宥・第十一の記述を見てみよう。
黄帝が立って天子となって十九年間、その命令は天下に行われたが、広成子が崆峒山の上にいると聞いて、行ってこれに会い、訪ねた。
黄帝は広成子に聞いた。
「あなたは至道に達しておられるそうだが、どうか至道の神髄といったところをお聞かせください。わたしは天地の神髄をとって、五穀の実りをたすけ、人民を養いたいし、わたしはまた陰陽にならって官をつくり、もろもろの生をとげさせたいものと思っている。どうしたらよいだろうか」
広成子は答えた。
「あなたが聞こうとしているのは、物の実体です。そして官をつくろうというのは、物をそこなうことです。あなたが天下を治めてからというもの、雲気は集まるのを待たずに雨となり、草木は黄ばむのを待たずに葉をおとし、日月の光はますます荒んできました。あなたのようにねじけた人は心があさはかだから、どうして指導などを語ることができましょう」
黄帝は引き下がってきて、天下を棄てて一人住まいの家をつくり、白茅をしき、三ヵ月の間引きこもった。それからまた出かけていって広成子に会った。広成子は南枕で、横になっていた。黄帝は下座から膝をついて歩みより、丁寧にあいさつしてたずねた。
「あなたは至道に達しておられると聞いております。特にお尋ね致すのですが、どうやって身を治めたら、長生きができるでしょうか」
広成子はつと立ち上がって言った。
「なかなかよいな、その質問は。まあ来なさい。わたしはあなたに至道のことをお話し申そう。至道の神髄というものは窈々冥々(深遠にして窮めがたいさま)遠く深く、至道の極は昏々黙々(微妙にして見がたいさま)ととらえがたいし、目は見ることなく、耳は聞くことなく、己が精神をもって静かであれば、形体は自ずと正しくなるだろう。必ず静かに、必ず清らかにして、あなたの形をはたらかすことなく、あなたの精をうごかしてはならない。そうすれば長生きすることができる。目は見ることなく、耳は聞くことなく、心は知ることがないならば、あなたの神はあなたの形を守るであろう。そこで形が長生きするのです。あなたの内を慎み、あなたの外を閉ざしなさい。知が多いと、失敗する。わたしはあなたのために、大明(日をいう)の上にのぼろう。それは至陽の原(みなもと)にゆきつくことである。あなたのために、窈冥の門に入ろう。それは至陰の原にゆきつくことである。天地にはつかさどるところがあり、陰陽にはおさめるところがある。そこで、あなたがよく身をつつしめば、物はおのずと盛んになるのだ。わたしはもっぱらその一をまもってその和に処する。だから、わたしは身を治めること千二百年になるが、わたしの形は一向に衰えない」
黄帝はていねいに頭を下げて言った。「広成子どのこそ、天そのものというべきでございます」
広成子「さあ、こちらへお寄り。わたしはあなたに話してあげよう。物はみな窮りないのに、人はみな終わりがあると考える。物ははかり知れないのに、人はみな極(はて)があると考える。わたしの道を得たものは、上は皇となり、下は王となる。わたしの道を失ったものは上は光をみても、下は土となる。かの百物はみな土から生じて土にかえる。だからわたしはあなたをすてて、無窮の門に入り、無窮の野に遊ぼうと思う。わたしは日月と光をまじえ、無窮の天地とともに久しかろう。いかなるものが自分に近づこうとも自分から遠ざかろうとも無心としている。他人はみなことごとく死ぬが、わたし一人がいきていくであろう」
黄帝は広成子の教えから多大な啓発を受け、それ以後、広成子について道を学び修錬するようになったという。
参考文献:『老子 荘子 列子 孫子 呉子』、中国古典文学大系4、平凡社、昭和50年12月。
(文・孫樹林)
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