本音と建前の日本社会で本音だけで生きられるものだろうか。こんな視点から 素晴らしい方々と出逢えるようになった。シリーズ「本音を生きる」では、バレエ界60年の巨匠、高木怜子さんにお話を伺った。
-バレエとの出逢いは?
中学1年の頃ですね。洲和(すわ)みち子という先生の稽古場が学校の帰り道にあって、いつもやりたいなと見ていました。ただその時は日本舞踊を習っていましたし、親は若い女性が足を丸出しにするなんてと反対して いました。結局、親に内緒で日本舞踊をやめてバレエを習い始めました。あとでばれてしまいましたが。
-厳しいレッスンでしたか?
もう厳しかったです。トウシューズを履いてパドブレ(両足交差)で3時間ずっと歩かされました。そのうちに足は血まみれになり、辛くてよろけると「何やってる!」とムチが飛んできて、もう傷だらけでした。次の日には、トウシューズが履けないくらい足が腫れているのを無理やり押し込んで練習していました。洲和先生にはみっちり心を鍛えてもらいました。10年間、先生のもとで踊ったり教えたりしていましたが、もっとバレエを勉強したい、もっとしっかり踊りたいと思い、東京に出たんです。
-東京ではどのようなことがありましたか?
アントニー・チューダー(英国の舞踊家、振り付け師)の特別公演の時、太刀川瑠璃子先生が「でれるかどうかわからないけど無料でいいからレッスンに参加してごらん」と誘ってくださいました。アントニー・チューダーといえば、もう雲の上の存在で、そのレッスンを受けている方々もプリマ(主役)をされるような方ばかりでした。当時かけ出しのダンサーだった私がまさか出演できると思ってもいませんでしたが、思いがけず役をいただいて、あの時は自分でも本当にびっくりしました。その他にも本当にいろいろな先生から、勉強させてもらいました。
-東京での生活は?
東京では生活のために働かず、人に教えて生活していました。そこで自分の持っているものを誰にも遠慮もなく本音で伝えるには、自分の稽古場が必要だと思い、40年前でしょうか、新宿でスタジオを持ちました。
-多くのお弟子さんが教室を開かれていますが、どのように生徒さんを教えてこられましたか?
そうですね。なんとか上手くなって欲しいから言うべきことははっきり言っていました。それで生徒がやめるならやめても構わないという信念がなければ人は育たない。そして自分もバレエを教える以上、自分を磨かないと人を教えるなんて無理だと思っていました。勉強したこと以外は教えられないんです。
中には泣き出す生徒もいて「泣いてうまくなるなら、みんなうまくなるわ。悔しければ頑張ればいいじゃない」と鬼のように接していました。そうすると相手も本音でぶつかってくる。本音でぶつかりあうから、その人の個性が分かって、作品ではその人が本当に輝く役を与えることができました。
そんな生徒一人ひとりが自分の大事な身内のように感じていました。だからえこひいきなんかしない。上手だろうが下手だろうが、皆一緒でした。
(次号に続く)
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