武漢赤十字病院で中共肺炎(新型肺炎)の患者に対応する医師。2020年2月16日に撮影( STR/AFP via Getty Images)

中共ウイルス、武漢で患者が治療後死亡「退院前2回の検査も陰性」

中国メディア「澎湃新聞」3月4日付によると、武漢市民の李亮さん(36)が2月26日に市の臨時医療施設から退院した後、3月2日、経過観察先のホテルで死亡した。

李さんの妻、梅さんは澎湃新聞に、武漢市衛生健康委員会が出した「住民死亡医学証明(推断)書」を提供した。これによれば、李さんは中共ウイルス(新型コロナウイルス)による肺炎に再び感染したと診断され、死因は呼吸不全だった。

李さんは2月12日、新型肺炎の軽症患者を受け入れる市の臨時医療施設、漢陽方艙医院に入院し、治療を受けた。同月26日、施設の医師らの診断で李さんは退院を許された。同日、退院者は14日間の経過観察を必要とするため、李さんは指定のホテルに宿泊した。

梅さんによると、李さんはその1~2日後、胃に違和感を覚えたという。3月2日午前、李さんは梅さんとのテレビ電話で、再び体調不良を訴えた。この時、ちょうど医師がホテルに入り、李さんを診察した。医師は梅さんに、李さんは「精神的なストレスを感じているのかもしれない」と話した。しかし、その直後に李さんは最寄りの病院に運ばれて、同日午後5時ごろ死亡した。

梅さんが提供した2月25日付の退院報告では、李さんの体温は3日間連続平熱で、呼吸器の症状が顕著に回復したほか、2回の核酸検査はいずれも陰性だった。

武漢市民の梅さんが提供した夫の李さんの退院証明書と治療報告書(ネット写真)

澎湃新聞が報道を行った後、中国政府系メディア「新京報」など複数のメディアが相次いで転載した。しかし、現在澎湃新聞をはじめ、各メディアはこの報道を取り下げた。

インターネット上では、この報道に関して動揺が広がった。

ネットユーザーらは「このニュースを読んで恐怖を感じた」「恐ろしすぎる!回復して退院した人は皆、まだ危険状態にいるのではないか?」「なぜ突然、死んでしまったのか?救命治療も受けられなかった。少なくとも症状はあったはずだ」「退院の基準が低すぎたのでは」と次々に投稿した。

また、「なぜ澎湃新聞も報道を取り下げたのか?人に言えない秘密でもあるのか?」と当局の報道規制を批判するネットユーザーもいる。

一方、中国メディア「中国新聞週刊」3月3日の報道では、武漢大学人民病院の呼吸器および救命救急医学科の准主任医師、張旃(チョウ セン)准教授は「われわれの退院基準は緩すぎる」と訴えた。

国家衛生健康委員会が公布した『新型肺炎の診断と治療方案(試行第6版)』の隔離解除と退院基準の第4条には、「呼吸器検体の核酸検査を2回連続行い(検体採取は少なくとも1日を置く)、結果が陰性である」と記されている。

四川省成都市、武漢市、広東省など各地では、患者が退院して2週間後の検査で再び陽性反応が出たことに、張准教授は「核酸検査を3回連続行うように」と提案し、退院基準をより厳しくすべきだとの見方を示した。

張准教授は、中共ウイルスに感染した医療従事者44人を対象に研究を行ってきた。2回の検査で陰性となったこの44人の中の26人は、3回目の核酸検査で陽性になったという。

(翻訳編集・張哲)

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