『道徳経』智恵

4タイプの親が4タイプの子どもの人生を作り上げる

道徳経』どの言葉も一冊の厚い本に匹敵するほどの価値がある。

老子は「水」を尊いものとし、簡単に言えば、水はしなやかで、せき止めるのはたやすい。川の水に片手を突っ込めば、一部の水の流れはせき止められる。しかし、せき止められた水は方向を変えて流れ続ける。

家庭になぞらえると、親は根っこ、子どもは実です。果実に問題があれば、半分以上は根に問題があります。ですから親が違えば、子どもの人生も違ったものになると言えます。

老子の『道徳経』の中に、「最も優れた人は静かに見守る人、次は親しみをもたれて人に誉められる人、その次は人に恐れられる人、その次は人から軽蔑される人である」と書かれている。老子は統治者および指導者をこのように4つの段階に分けた。同様に親のタイプも4つに分類した。

最悪な親は、気が弱すぎるか強暴で子どもをひどく憎み嫌う。

三流の親は、横暴で常に優位に立ち、子どもを畏縮させ怖がらせる。

二流の親は、親密で思いやりがあり、あらゆる面で行き届いているため、子どもも親に十分感謝している。

最も優れた親は、子どもに独立心とその能力を授け、子どもは家から出た後は親のいかなる庇護も必要としなくなる。

1、最悪な親は機嫌が悪いとどうなるでしょう

十年前、中国で「親は皆災い」という名のネット上のグループが成立した。ネーミングを見ればわかるようにこのグループのメンバーは皆、親を敵視している。そのメンバーの数は十万人以上に達し、控えめに言ってもその数は計り知れない。内容は基本的に自分に対する親からの支配と危害を告発するもので、あまりの深刻さに心乱されるものもある。

親から愚か者、クズと口汚くののしられた子どもや、両親が四六時中口げんかしているのもあり、子どもをガス抜きの役目とみなされて育てられた体験。さらに多くの親は自分の願望に照らして、好き勝手に子どもの生活に干渉したり、子どもの人生を支配しようとする。

ネット友達の心さんはその典型的な一人だ。兄が病気だったことで、姉と彼女は相次いで生まれてきたが、ひたすらもう一人息子が欲しかった両親は、彼女達の人生を灰色なものにした。

「子ども時代の生活は限りないののしり、叱責、辱めと無数の言い争いの中で過ごしました。両親はいかなることも自分たちの意志で激しく抑えつけてきた。何でも私が悪いのだと思い込ませた」「1秒前は、人と穏やかにおしゃべりしていたかと思えば、1秒後にはびんたが飛んでくる」そんな生活。勉強の成績は良かったけれど、その後もけっして幸せではなかった。「私は、今年33才になりますが、離婚し、母の癇癪(かんしゃく)持ちを受け継いでしまったので、気分が優れないとすぐ娘に当たり散らしてしまいます」

実際、私たちは本能的に、まさに気分が晴れない時、これらのマイナスのエネルギーが自分より弱い立場の者に向けられがちなので、子どもは往々にして八つ当たりの格好の相手にされやすい。

しかし、親のこのような行為は子どもにとって非常に大きな心の傷として残る。ひいては、子どもの一生に影響を及ぼし、軽くても劣等感をもちやすく、重ければ横暴で傲慢になりがちだ。また子どもは大きくなってから、傷つけられる側から傷つける側に変わってしまうことが往々にしてある。

2、三流の親は横暴で強気で優位に立つ

ある親は、子どもを自分の塑像作品のようにみなし、自分のイメージした生活に基づいて子どもを育て、子どもの全ての行動を厳しく管理する。

『古今賢文』[1]の中で、国家は若者に儀礼を教え、一般家庭では男の子に何が悪事かを教えれば、話したことには道理がある、と言っている。

あるネット上の友人は、ネット上の討論で自分の成長体験を共有した。彼女は小さい時から聞き分けの良いおとなしい女の子だった。高校では理科を選択したが、それは親の言う事をきいたからだ。大学入学試験では何を志望したらいいか、卒業したらどんな仕事につくか、両親の言う通りにする…。

「私は20才の頃、まるで木彫りの人形みたいでした。何でも両親に決めてもらい、彼らの言う通りにやっていました」

仕事を始めてから、彼女は次第に言いなりになることでとても多くのものを失った事に気がついた。自分の頭で考える能力をなくし、抵抗する意識を失い、人に服従したり顔色をうかがう習慣が身についてしまい、ノーと言う勇気がなくなってしまった。

このネット友達の経験は多くの中国人家庭の実際の描写であると言える。

中国では両親はしょっちゅう、このように子どもを教育する。「年寄りの言うことを聞かないとばかを見るぞ! おまえは子どものくせにどうして言うことを聞かないんだ」「親の言うことを聞いていれば間違いないんだ!」「大きくなったと思ったら親の言うことを聞かなくなった」

子どもに対する過干渉の他に過保護もあり、子どもの代わりに何でもやってやりたくてたまらない。子どもは落ち着いて勉強さえしていればいいんだ、と思っている。しかし過保護の場合、子どもは気をつけなければ大きな赤ん坊のように成長してしまう。子どもは独立して世間に出てから苦しみや辛い結果などに直面するのである。

よく見られる例としてこのようなことがある。子どもにすべて自分の言うことをきかせ、自分の姿かたちはすなわち子どもの姿かたち、自分のレベルは子どものレベル、自分の人生イコール子どもの人生、と考える親たち。

3、本当に優秀な親は皆このようにやっている

その他に過干渉でなければ、過保護であったりする保護者がいるが、優れた保護者は子どもに干渉しないで、自主にまかせて育てている。

梁啓超[2]には九人の子どもがいるが、どの子もみなすばらしい。彼が子どもを教育する際の最大の特徴は絶対に目上であるとか権威とかを振りかざすことなく、子ども達と友達のような関係で平等に付き合うことだ。自分の力で自主的な精神をもった子どもになるように育ててきた。

他の親と同じように、子どもが重要な選択に直面した時、いろいろと意見を言ったりはするが、けっして彼の言うとおりにするようにと要求したりしない。例えば娘の梁思庄[3]が専攻学科を選択する際、彼は始め娘に生物を学んでほしいと思ったので、手紙を書いて励ました。その後、彼女が生物に興味がわかなかったとわかれば、時期をみてまた手紙を書いて「およそ学問は自分の性格に合う身近なものを学ぶといい、そうすれば労少なくて倍の成果を出せることもよくあるから…私が勧めた学科は必ずしもおまえに向いていたわけではなかったようだ。お父さんの言ったことにこだわる必要はないから、自分でよく見極めて決めればいい」と伝えた。

百年近く経っても、依然として、とても多くの保護者は昔の親と変わっていない。いつも年長者であることや権威をふりかざし、教育上一番大事なのは相手を尊重することだということを忘れてしまっている。

どの子どもも皆、唯一無二であり、その子はその子自身にすぎず、親の思いどおりに育つはずがない。親という有利な立場から子離れしてこそ、子どもは独立した思考をもって自分に向き合い、自分でいろいろなことを考える事が出来る。広々とした遠く離れた場所に行って見聞を広めたり、さらに高いところに視野を向けたりすることで、一段と大きく成長できるのだ。

注:

[1] 『古今賢文』:明朝の児童向け儒家啓蒙書。

[2] 梁啓超(りょう けいちょう、1873年―1929年)は清末民初の政治家、教育思想家、歴史学者。

[3] 梁思庄(1908年-1986年)は梁啓超の次女、図書館学者。

(翻訳・夜香木)※看中国より転載

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