行いが正しければ、病は遠ざかっていく

清朝の張廷玉はかつてこう言った。「天下の万事、運命を逃がれることは出来ず、命には長さがあり、薬で救うことができるわけではない」。なぜ彼はこのように言ったのだろうか?それは次の故事に由来する。

 ある日、顧庸山という人が病に罹り、背中にできものも出来て苦痛で堪らなかった。彼は多くの名医に見てもらい、多額の医療費を費やして、やっと病気を完全に治すことができた。一方、同じ時期に、近所に住むある貧しい人も、同じ病気に罹った。しかし、彼は医者に診察してもらうためのお金がなく、毎日薄いおかゆを飲んで過ごすことしかできなかった。その後、この貧しい人の病気も治った。この事は張廷玉氏を深く感動させた。彼は、「運命」は定められたことであって、医者や薬で治療するか否かは決して絶対的なことではない、と悟ったのである。

 昔、ユーヤンという人がいた。彼の郷里の村で疫病が発生し、一番上の兄はそのために病死した。二番目の兄にも伝染し、病状はとても深刻だったが、村では疫病がますます猛威を奮っていたため、両親と弟達は他の地方に逃げようとした。しかし、ユーヤンだけは立ち去らなかった。父と母は彼を叱り、一緒に逃げるよう説得した。しかしユーヤンは、「私は生まれつき病気が恐くないのです。私はこのまま残って二番目の兄の世話をします。皆さんは行くのなら行ってください」と言った。そこで彼1人が残り、重病の兄の世話をした。

 数十日後、村の疫病は徐々に消え、家族は戻ってきた。彼らが家に帰ると、ユーヤンの二番目の兄の病気もほとんどよくなっており、ユーヤン本人も全く伝染されていないのを見て、皆は不思議に思った。

 村中の年寄り達はこのことを知り、感嘆して言った。「この子は常人が守れないことを守ることができ、常人のできないことをやった。彼の人格には本当に頭が下がる」村中の人々は、ひとつの道理を悟ったのである。行いが正しい人は、疫病、万病に罹らない。

 この故事によれば、病気に罹るかどうかは本来、医療、体の健康状態とそんなに関係はない。張廷玉の言った通り、「運命は定められており、療養、治療の有無に関わらない」のではないだろうか。

 現代人は一生懸命、健康食品を買い求め、トレーニング・ジムで汗を流し、苦労して有名な医者を探しているが、そのようにすれば本当に健康になり、延命できるのだろうか?張廷玉の考え方は、現代人にまた違った視点を提供してくれているのではないだろうか。

 

(正見ネットより)
関連記事
昔々、森の中に一匹のトラが暮らしていました。年を取り、もう自分で獲物を捕ることもできませんでした。ある日、トラは、湖のほとりで金の腕輪を見つけました。
梅雨時のじめじめした空気には気分も下がりがちですが、体調まで崩してしまっては大変です。
私たちは親族や友人との集まり、上司や同僚、顧客との打ち合わせ、または面接やプレゼンテーション、公の場でのスピーチなどに参加する際、私たちのボディーランゲージは私たちの全体的な心身の状態を伝えています。特に会場に入る際、多くの目があなたを見つめているかもしれませんが、あなたは自信を持って、状況をコントロールすることができますか?
近年の研究では、アルツハイマー病患者は症状が現れる数年前から脳に病変が生じ始める可能性があることが示されています。したがって、認知症や行動の予防は老化してからでは遅すぎます。日本の専門家は、40代から予防策を取ることを提案しています。
もし何か(または誰か)に腹を立てた時に、感情が爆発するのを防ぐ確実な方法があったらどうでしょうか。怒りを打ち砕くことのできる秘密兵器があるとしたら、それを知りたくはありませんか?