清朝の時代、偉大な慈善家として尊敬を受けた人物がいた。彼の名は向従楷(向世楷)といい、「向仁公」という愛称を持つ。仁公は心優しく、84歳でその生涯を終えるまで、多くの困っている人たちを助けた。
仁公は、よく村の出入り口にあるあずまやに通っていた。そこは、旅費がなく家に帰れない人や、貧しくて医者に診てもらえない病人たちを援助する場所だった。彼は天災や人災に見舞われた人を匿い、親戚間の不仲や兄弟ゲンカの仲裁なども行った。
ある日、仁公は顔色のよいとても元気な80歳の年寄りに出会った。老人は、ちょうど仁公を探しているところだったと言って、身の上話を始めた。
老人は敬虔な仏教信者で、南岳の寺への参拝を数十年間続けていた。年を取り、動きが緩慢になったため、今年は通常より一日早く参拝に行った。老人は正殿に入り、南岳菩薩に、「今晩、私は祭壇の下で一晩休みます。夜が明けたら私が誰よりも最初に、線香をあげられますように」と願った。
深夜、南岳菩薩が現れて老人に言った。「あなたは数十年間、休まず参拝してきましたが、椅子村の仁公と比べると、彼の功徳には、はるかに及びません。彼はすでに120年間参拝しているのですから、最初に線香を手向けるのは、当然彼です」。老人は驚いて目を覚ました。それは夢だったが、正殿には灯がきらめき、線香の香りが漂っていた。間違いなく、仁公がすでに線香をあげたのだろう。老人は仁公の行いに感心し、彼を尋ねることにしたのだった。
老人の話を聞いた仁公は驚いて、「私は、南岳の寺の場所さえ分かりません。実は、一度もそこへ参拝したことはないのですが」と話した。老人は愕然とした。仁公は少し考えてから、老人を自分の家へ連れて行き、一串の銅銭を取り出して老人に数えてもらった。ちょうど120枚だった。仁公は、「私は毎回、善事を行う際、1枚ずつ銅銭を串に刺して連ねます」と説明した。老人は、「一つの善事は、一年に一度の参拝に等しい。神様は人の善行こそが重要であるとみなされ、明白にそれを記載してくれる。本当に、頭上三尺に神ありと言われる通りだ」と悟ったのだった。
毎年参拝する老人より、仁公のほうが真に仏を信じていた。仁公の行いは、美談として今も人々の心に残っている。
(翻訳編集・李頁)
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