<東西洋神話伝説 自殺の罪3> 中国の伝説 自殺者の恐ろしい境遇
生きる苦しみに絶えず自殺する人がいます。人は死んで本当に終わりなのでしょうか?東、西洋の伝説や古典では自殺について考え方が同じで、自殺した人は罪を償うために死後も生前の何倍も苦しむと見ています。
中国の『果報類編 』下卷にはこのような物語が書かれています。康熙7年5月、鎮江市に住んでいた張大が突然死に、冥府に行きました。閻魔王は張大を見ると、「間違って捕まってきた」と言いましたが、せっかくここに来たのだからこの世に言づけをしてくれと言いました。その後、冥府の使いは張大を連れて「枉死の城」を回りました。
「枉死の城」には多くの自殺者の魂がいました。その中には首吊りをして死んだ者や、喉を切って死んだ者、毒を飲んだり、川に飛び込んで死んだ者など様々です。彼らは毎日、定時になると自殺した時と同じ方法で自殺を行い、当時と同じ苦しみを味わいます。彼らは「私たちは死んだらそれで終わると思ったが、それは大間違いだった。死んでからこんなに苦しむと知っていたら、自殺なんて絶対にしないのに」と後悔していました。
張大は冥府の使いに「彼らは再び人に生まれ変われますか」と聞くと、使いは「不可能だ」と答えました。自殺者はこの世で人として善行を行うことに反し、親の育てた恩にも背いたため、再び人身を得ることができず、畜生道に入るしかないといいました。
「枉死の城」の旅が終わり、閻魔王のところに戻ると閻魔王は「この世に戻った時、ここで見たことを人に伝えてくれ」と言いました。そして机を叩き、大声で何か叫ぶと、張大は目を覚ましました。
自殺した人が積んだ罪は大きいものです。肉身は親から与えられ、命は神様から授かったものです。自ら命を絶つと親と神様の恩に背きます。この世の衣食住は天地が与えたものから得るものなので、何の貢献もせずこの世を去ると天地の恩にも背くことになります。
命を大切にし、人と社会に貢献できる人になって初めて、天地と神の恩に報いることになるのです。
参考資料:
『果報類編』下卷
(翻訳編集・唐玉)