根源を究める随筆:揚州八怪と共産党の幻想

揚州画派の流派が現れたのは清の時代の初頭でした。中でも通称「揚州八怪」(清代における著名な八大画家)がもっとも際だっていました。彼らは西洋のルネッサンスに通じるものがあると言われています。揚州八怪の『怪』とは古いものの良さを新しいものに生かすことにあるのです。彼らの芸術は変異したものではなく、自由で独特な理論、筆及び色の運用、そして技法を用いて、清の時代の初頭に芸術界で瞬く間に異彩を放ち、センセーションを引き起こしました。彼らの画を簡単に紹介しましょう。

 金農氏の「寄人籬下」(軒先を借りた居候)の絵画は、破けた生け垣の下に、錦のように美しい花が咲き乱れています。画境は非常に奥深いものです。鄭板橋氏の「蘭石図」は磐石の前後に竹と蘭の花が群がり生い茂り、颯爽としている姿を生き生きと描いています。李鱔氏は桃の花の下に出没する鯈魚(ハヤ)を描き、「出入り口にいる漁師」と題しています。桃源郷の物語に基づいて絵画の内容を展開し、鯈魚(ハヤ)を漁師に替えたところに独特な意匠が感じられます。黄慎氏の「八仙人物図」は、筆使いが豪快で力強く、芸術の造詣の深さが伺えます。李方イン氏の「松竹梅図」では、歳寒の三友である松・竹・梅の清らかで美しい様子が、観賞する側が見入ってしまうほど存分に表されています。高鳳翰(カン)氏は、右手の替わりに左手を使った、不撓不屈の強い精神の持ち主です。華岩氏の「野焼図」は、谷からの野火を逃れようとする動物達とアカゲザルを描き、悪人には悪の報いがあることを示唆しています。観賞後の感想は一新され、すっきりします。羅聘氏の山水人物画集の第九開(第9ページ)に、僧侶が一羽の鶴を連れて竹林の中で散歩する姿を描いています。全てが清らかで、独特の風格を現しています。

 揚州は中国北方へ食糧を輸送する南北大運河を結ぶ重要な位置にあり、長江の下流を牛耳り、地理的に有利な場所です。商売のために各地から人々が集まり、古くから繁盛してきました。清の時代に塩の商いの重要な都市とされた揚州は、富を築いた塩の商売人らが画家達のために宿を造り、経済援助をしていました。「揚州八怪」の画家達の作品は、草花がもっとも多く、もっとも評価されています。表面的には、「揚州八怪」の絵画は揚州の栄えた経済の下に出来上がったもののようです。

 発展した経済があるからこそ芸術も発展できると言う考え方が、共産主義にとって重要な観点の一つです。社会進歩の根本的な表れが、生産力を軸とした物質文明であり、物質文明が精神文明を取り決めています。したがって、生産力が高度に発達していれば、物質も極めて豊富となり、精神文明及び道徳的素質も相対的に向上し、人々が自由になり、これらを合わせれば、共産主義自由王国になると言うのです。これがマルクスの描いた「共産主義の花卉」の作品です。マルクスはこの花卉の作品を極めて発展した経済において咲かそうとしたのです。

 しかし、実際の状況ではどうでしょうか?

 先ずは、「揚州八怪」の花卉の作品は揚州の発展した経済の下に出来上がったものではありません。中国を少しでも知っている人なら分かると思いますが、これらの花卉の作品は明らかに儒、釈迦牟尼、道の思想に基づいたものです。「揚州八怪」の画家達からもし儒、釈迦牟尼、道の思想を取り除いてしまえば、彼らの作品の風格は失われるのみならず、彼ら自身をも見失ってしまいます。何故なら、彼らは元から儒、釈迦牟尼、道の思想に深く浸っていて、三家の思想が根付いているからです。

 次の例をあげて見ましょう。

 金農氏は貧しくて懐には一銭もありませんが、自由自在な生活をしていました。鄭ベン氏は高官を捨て、制作した絵画を売り、生活を営むことを選んだ珍しい間抜けだと言われています。李鱔氏は娘を嫁がせることができないほど貧しかったのですが、作品は活気に溢れています。黄慎氏は幼少の頃から寺に寄宿し、仏像の側で絵画の練習をしていました。晩年はもっぱら太い筆で神仙及び仏像の絵画を制作していました。李方イン氏は高官の座を捨て、自分の制作した絵画を売って生活することにしました。李氏は袁子才氏及び沈補夢氏の三人で「三仙出洞」と呼ばれています。華岩氏は一生、湖と山を愛し、古くからの作法を好む博識の画家です。「花寺の僧」と自称する羅聘氏は白昼に霊を見ることができる故、作品「鬼趣図」の名を走らせました。今まで述べてきた画家達は儒、釈迦牟尼、道を通して育成された各々の生活方式であり、物質的・金銭的に左右されたものは一つもありません。

 また、中国の歴史において、戦乱により経済が一時的に不況になっても、芸術の発展には影響していません。例えば、諸子の散文、東晋の時代の書道、晩期の唐の時代の詩歌、五代及び南宋の時代の絵画、清の時代の小説など等。それぞれの時代において、芸術を育成するのに繁栄した経済土壌はありませんでした。しかし、当時の芸術は盛んでした。それは他に儒、釈迦牟尼、道の肥沃な土壌があったからです。

 ですから、芸術を育成するには儒、釈迦牟尼、道を基礎としての根源にすべきであり、経済の影響はせいぜい風や雨のようなものに過ぎません。勿論、風と雨は花にとって多少の成長作用はありますが、基礎である根の代替にはなりません。それに風と雨は時には花をだめにする場合もあります。

 経済の影響は全人類の根本的な幸福にとって、時には促進作用として現れ、時には腐敗作用として現れます。マルクスの「共産主義」と言う花は、全て基礎(根源)である道徳信仰を外し、強引に経済を基礎(根源)にしています。これこそ共産党の幻想(妄想)であることは言うまでもありません。