1999年9月21日、台湾中部で巨大地震が発生した。
▼マグニチュード7.6、最大震度7。真夜中の1時47分に発生した地震によって、各地で建物が倒壊し、犠牲者数2415人(ほか行方不明29人)の大惨事となった。
▼悪夢のような夜が明けた。こうむった甚大な被害を前にして、人々は衝撃のあまり凍りついた。しかし悲しんでいる暇はない。命が助かるか否かの境は72時間だという。崩れた土砂の下、倒壊した建物のなかに残された人を探し出し、一刻も早く救出しなければならない。そんな緊迫した状況のなかで、最も迅速に、最多人数の海外救助隊を送ってくれたのは日本だったと、台湾の人々は長らく忘れずにいてくれた。
▼2011年3月11日の東日本大震災の際に、200億円を超える世界最高額の義援金が台湾から贈られて、日本人の心を熱くしたことは記憶に新しい。元総統の李登輝氏は3月12日、「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」という、心温まる日本語の言葉を寄せている。
▼9・21の台湾地震では、海外から多くの義援金が、当然ながら台湾へ寄せられた。江沢民は「台湾は中国の一部であるから、義援金は北京の窓口へ送るように」といって、世界の失笑を買った。
▼災害がもたらした悲しみは歳月が経っても尽きない。ただ日本と台湾は、世界でも稀有なほど良好な関係になれた。ともに悲しみを乗り越える両国民の絆は固い。
【紀元曙光】2020年9月21日
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