孫思邈は南北朝時代の西魏に産まれ、唐の時代に有名な医師、道士となり、141歳まで生きました。中国だけではなく世界的に見ても偉大な医学者であり、後の人たちは彼を、「薬王(やくおう)」と呼びました。
孫思邈は幼い頃から非常に頭がよく、一度読んだ本の内容は忘れませんでした。7歳の時には、孫思邈は毎日何千文字もの文章を暗誦し、成長してからは道家の老子の本を好んで読んでいたようです。
北周の宣帝の時代、各国が争いを始め、世の中の情勢は不安定でした。彼は太白山に隠居し、そこで道を修め、心身を磨きました。彼は天体の運行を計算し医療用の薬草の研究に励み、密かに多くの善行を行いました。
ある時、彼は羊飼いの少年に傷つけられ、小さな蛇が血を流しているのを見ました。彼は小さな蛇を助けようと自分の服を脱ぎ、その服と引き換えに蛇を手に入れました。そして蛇の傷口に薬を塗って自然に戻しました。
10日以上経ったある日、孫思邈はでかけた先で、馬に乗っている白装束の美少年に出会いました。少年はすぐに馬から飛び降りると、「私の弟を救ってくれてありがとう」と孫思邈に感謝しました。孫思邈は何の事なのかわかりませんでした。
その少年は孫思邈を馬に乗せ、自ら馬を引くと、飛ぶように歩き、あっという間に到着したのは、花が咲き乱れ、華やかに彩られた宮殿のある街でした。少年が孫思邈を門に誘うと、赤い衣を纏い、帽子を被り、後ろに多くの付き添いを連れた男が満面の笑みで迎えに来ました。
男は孫思邈に繰り返しお礼をして、「あなたは息子の命を救っていただいた恩人ですので、迎えを出し、あなたを招待しました」と言いました。それから隣の青装束の少年に顔を向け、指差すと「息子は数日前に一人で遊びに行って、羊飼いの少年に捕まりました。幸い、あなたが彼に薬を塗り、治療をしてくださったおかげで、今日まで生きられました」と言い、青装束の少年に孫思邈に感謝するように言いました。
そこで孫思邈は数日前に、服を脱いで蛇を救ったことを思い出し、近くにいる人にここは何処かと尋ねると、彼は「ここは涇陽水府(けいようすいふ)です」と答えました。この時、孫思邈は、自分が救ったのは小さな蛇などではなく、龍王の息子であったことにようやく気が付いたのです。
龍王は孫思邈のために宴会を開き、彼にたくさんの宝石を与えました。しかし孫思邈は断固として受け取りませんでした。そこで龍王は息子に、竜宮にある30枚の珍しい処方箋を孫思邈に渡すように命じました。お別れの時、龍王は孫思邈に「これらの処方箋はあなたが他の人を救う際の助けになります」と言いました。
孫思邈は帰った後、すぐにこれらの処方箋を使用し、その効き目の凄さを実感しました。彼はこれらの処方箋を「備急千金要方」(びきゅうせんきんようほう)に書き記しました。後の人々はこの本を奇書としましたが、中の処方箋が仙人から来たものであれば、その効き目にも納得が生きます。
(訳:神谷一真)
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